高千穂(タカチホ)

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高千穂

漢字・読みタカチホ
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概要

高千穂の「チ」は「多い」という意味で「穂」は「稲」。本来の意味は「稲を高く積み上げた所」という意味。記紀では土地名として表れるが、具体的な場所はハッキリしない。候補としては霧島山と臼杵群高千穂。前後の物語から推測するに九州南部〜中部の何処かは間違いない。

アジア大陸アルタイ族には「神が天から降りる」という神話があり、朝鮮の建国神話も同様の性質を持つ。よって日本のニニギの天孫降臨はこれらの影響と考えることが多い。日本古来の世界観は沖縄のニライカナイのように水平世界の向こう側に「神の国・あの世」があるというもので「天」の思想は比較的新しい思想とも。

ただ日本では穀物神は山に居るもので、ニニギが山に降りる経緯が影響を受けていると考えるのが妥当かは結構怪しい。
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物語・由来

ニニギ、筑紫の日向に降臨
ニニギ高天原で座っていた場所を離れて、空の幾重にもたなびく雲を押し分けて、その激しい神の力で道を掻き分け、天の浮橋から浮島に降り立ち、筑紫の日向の高千穂の降臨しました。

高千穂宮に580年
ヒコホホデミ命(=ホオリ命)は、高千穂宮に580年いました。宮は高千穂の山の西にあります。

平安に統治するために東へ
カムヤマトイワレビコ命はその兄のイツセ命と二柱で、高千穂の宮殿で相談しました。

第九段一書(一)―5男も女も猨女君と呼ぶ理由
猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)は答えました。
「天神(アマツカミ)の子は筑紫の日向の高千穂の槵觸之峯(クジフルノタケ)に行くべきでしょう。わたしは伊勢の狹長田(サナダ)の五十鈴(イスズ)の川上に行きます」

第九段一書(二)—4齋庭の穂を、我が子オシホミミに
天津彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコホノニニギミコト)は地上に降りて、日向の槵日(クシヒ)の高千穂の峰にたどり着き、膂宍(ソシシ)の胸副国(ムナソウクニ)を丘から眺め見て、通り過ぎ、浮渚在平地(ウキジマリタヒラ=海上の浮き島の平らなところ?)に立って、国主(クニヌシ)の事勝国勝長狹(コトカツクニカツナガサ)を呼び寄せて、訪ねました。

第九段一書(四)天忍日命の先導
日向の襲(ソ)の高千穂の槵日(クシヒ)の二上峯(フタガミノミネ)の天浮橋(アマノウキハシ)にたどり着き、浮渚在之平地(ウキジマタイラ)に立たせ、膂宍(ソシシ)の空国(ムナクニ)を頓丘(ヒタオ)から眺め見て、通り過ぎ、吾田(アタ)の長屋(ナガヤ)の笠狹之御碕(カササノミサキ)にたどり着きました。
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