磯城縣主(シキノアガタヌシ)

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シキノアガタヌシ

漢字・読み磯城縣主
別名師木県主
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概要

磯城縣主(シキノアガタヌシ)は奈良県磯城郡三輪町金屋の城上郡志貴御県坐神社の鎮座地付近、現在の磯城郡にあった豪族の名前。日本書紀神武天皇の段によると弟磯城(オトシキ)を磯城縣主に任じています。
初期の天皇に多くの妃を排出
綏靖天皇から孝霊天皇のいわゆる「欠史八代」の天皇に皇后・妃を排出しています。日本では天皇の皇后になることが、由緒正しき権力闘争の手法ですから、磯城縣主は古代では権力者だったと思われます。

ただし、大和が発展したのが10代の崇神天皇なので、この時期の権力者といっても、田舎の小国の話かと思われます。

孝霊天皇の皇后が古事記では「十市県主の祖の大目の娘の細比売命」で、日本書紀本文では「磯城縣主大目の娘の細媛命」とあることから「十市県主」は「磯城縣主」から分かれた氏族だと思われます。
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物語・由来

綏靖天皇
カムヌナカワミミ命は葛城の高岡宮で天下を治めました。この天皇は師木県主(シキノアガタヌシ)の祖先となる河俣毘売(カハマタビメ)を娶って、産んだ子供が、「シキツヒコタマデミ命」の1柱です。

懿徳天皇
懿徳天皇は師木県主(シキノアガタヌシ)の先祖のフトマワカヒメ(別名イヒヒヒメ)を娶って、御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネ)と多芸志比古命(タギシヒコ)を産みました。

神武天皇日本書紀二年春二月甲辰朔乙巳 定功行賞
弟磯城(オトシキ)は名前を黒速(クロハヤ)といいます。
弟磯城(オトシキ)を磯城縣主(シキノアガタヌシ)に任じました。


日本書紀での妃についての詳細は欠史八代の皇后・妃の一覧を参考に。
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