天日槍は諸国を巡り

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垂仁天皇(六)天日槍は諸国を巡り

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現代語訳

ある書によると…

最初、天日槍(アメノヒボコ)は艇(ハシブネ)に乗って、播磨国(ハリマノクニ)に停泊しました。宍粟邑(シサハメムラ)がありました。そのとき天皇は三輪君(ミワノキミ)の先祖の大友主(オオトモヌシ)と倭直(ヤマトノアタイ)の先祖の長尾市(ナガオチ)を播磨に派遣して、天日槍に問いました。
「お前は誰だ?
また、どこの国の人だ?」
天日槍は答えました。
「僕(ヤッコ)は新羅国の主(コキシ)の子です。しかし日本国に聖皇(ヒジリノキミ)がいると聞いて、すぐに自分の国を弟の知古(チコ)に譲って来ました」
そう言って献上したものは、葉細珠(ハホソノタマ)・足高珠(アシタカノタマ)・鵜鹿々赤石珠(ウカカノアカシタマ)・出石刀子(イヅシノカタナ)・出石槍(イズシノヤリ)・日鏡(ヒノカガミ)・熊神籬(クマノヒモロギ)・膽狹淺大刀(イササノタチ)の合わせて8種です。
それで天日槍に天皇は言いました。
「播磨国の宍粟邑(シサハノムラ)と淡路島の出浅邑(イデサノムラ)のこの二つの邑の好きな方に居てもいいぞ」
天日槍が言いました。
「臣(ヤツガレ=天皇から見て部下、つまり自分のこと)が住むところは、もし天恩(テンノメグミ)をいただいて、臣の願う土地を許してもらえるならば、臣が自ら諸国を巡り見て、心かなう場所に住もうと思います」
天皇はその申し出を聞き入れました。
それで天日槍は菟道河(ウジガワ)から遡って、近江国の北の吾名邑(アナムラ)に到着してしばらく住んでいました。その後は近江から若狭国を通り、但馬国の西に到着して住居を決めました。それで近江国の鏡村(カガミノムラ)の他にの陶人(スエヒト)は天日槍の従者です。
天日槍は出嶋(イヅシ)の人の太耳(フトミミ)の娘の麻多烏(マタオ)を娶って、但馬諸助(タジマノモロスケ)が生まれました。諸助から但馬日楢杵(タジマノヒナラギ)を生まれ、日楢杵から淸彦(キヨヒコ)が生まれ、淸彦から田道間守(タジマモリ)が生まれました。
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解説

天皇の申し出を断り
垂仁天皇が「宍粟邑か出浅邑になら住んでいいよ」と言ったら、天日槍は「自分の住むところは自分で決める!」と勝手に探し始めてしまいました。言い方はへり下っていますが、我を通していることに違いはありません。天皇には絶対的な「力」があったわけではないのでしょう。

古事記・日本書紀は天皇の皇統を示して、強い天皇を示すために作られたものなのに、どうしてこんな物語を残すのか?「本」に書くということは物語を曲げる「権力」を持っているのです。もっと絶対的な天皇像を作ってもいいでしょう? 記紀を書いた理由には「皇統」「中央集権」といった政治的理由とは別の動機があったのではないでしょうか?

8つの宝
垂仁天皇(五)羽太玉・足高玉・鵜鹿々赤石玉・出石小刀・出石桙・日鏡・熊神籬」であげられた7つの宝に膽狹淺大刀(イササノタチ)を合わせて「8つ」です。

なぜ7つだったり、8つだったりするのか?
参考:聖数
アメノヒボコとツヌガラシトはかなりの部分が「神話」なんじゃないでしょうか? 実在しないのではないのです。何かしらの史実を元にしていますが、その後の尾ひれが沢山ついてしまって、神話の部分が大きくなったのではないか?ということです。
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原文

一云、初天日槍、乘艇、泊于播磨国、在於宍粟邑。時天皇、遣三輪君祖大友主與倭直祖長尾市於播磨而問天日槍曰「汝也誰人、且何国人也。」天日槍對曰「僕、新羅国主之子也。然、聞日本国有聖皇、則以己国授弟知古而化歸之。」仍貢獻物、葉細珠・足高珠・鵜鹿々赤石珠・出石刀子・出石槍・日鏡・熊神籬・膽狹淺大刀、幷八物。仍詔天日槍曰「播磨国宍粟邑、淡路島出淺邑、是二邑、汝任意居之。」時、天日槍啓之曰「臣將住處、若垂天恩聽臣情、願地者、臣親歷視諸国則合于臣心欲被給。」乃聽之。於是、天日槍、自菟道河泝之、北入近江国吾名邑而暫住。復更、自近江經若狹国、西到但馬国則定住處也。是以、近江国鏡村谷陶人、則天日槍之從人也。故天日槍、娶但馬国出嶋人太耳女麻多烏、生但馬諸助也。諸助、生但馬日楢杵。日楢杵、生淸彦。淸彦、生田道間守也。
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