鵠(クグイ)の追跡

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垂仁天皇(十二)鵠(クグイ)の追跡

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原文

廿三年秋九月丙寅朔丁卯、詔群卿曰「譽津別王、是生年既卅、髯鬚八掬、猶泣如兒、常不言、何由矣。」因有司而議之。冬十月乙丑朔壬申、天皇立於大殿前、譽津別皇子侍之。時有鳴鵠、度大虛、皇子仰觀鵠曰「是何物耶。」天皇則知皇子見鵠得言而喜之、詔左右曰「誰能捕是鳥獻之。」於是、鳥取造祖天湯河板舉奏言「臣必捕而獻。」卽天皇勅湯河板舉(板舉、此云拕儺)曰「汝獻是鳥、必敦賞矣。」時湯河板舉、遠望鵠飛之方、追尋詣出雲而捕獲。或曰、得于但馬国。

現代語訳

即位23年の秋9月2日。
群卿(マヘツノキミタチ=群臣)に天皇は言いました。
「譽津別王(ホムツワケノミコト)は現在、30歳となり、胸までヒゲが伸びたのだが、なお泣く様子は子供のよう。言葉は話さない。どうしてか?」
それで色々と話し合いをしました。

冬10月8日。
天皇は宮殿の前に立っていました。譽津別皇子(ホムツワケノミコ)もいました。そのとき鳴鵠(クグイ=白鳥)がいて、大虚(オオゾラ)を飛んでいました。皇子は鵠(クグイ)を見て言いました。
「これは何??」
天皇は皇子が鵠を見て言葉を発したと喜びました。
左右(モトコヒト=側の人)に天皇は言いました。
「誰か、この鳥を捕らえて来てほしい」
そこで鳥取造(トトリノミヤツコ)の祖の天湯河板舉(アメノユカワタナ)は言いました。
「臣(ヤッコ)が必ず捕らえて献上いたします」
天皇は湯河板舉(ユカワタナ)に言いました。
板舉は拕儺(タナ)と読みます

「お前がこの鳥を献上したら、必ず篤く褒賞を与えよう」
その時、湯河板舉(ユカワタナ)は遠くに鵠が飛んでいる方角を見て、追いかけて、追いかけて、出雲に至って捕獲しました。
ある人によると但馬国で得たとも

古事記の対応箇所
ホムチワケ御子は言葉を発さなかった
ヤマノベノオオタカの白鳥追跡
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解説

古事記ではいろんな国を渡って最後は越国に行きますが、日本書紀では出雲もしくは但馬国です。また白鳥を追いかける人物名も違います(古事記では山辺之大タカ)。ただ人物名の違いはよくあることですし、「別名」だけど「同一人物」ということもあります。
天湯河板舉は功績から鳥取造に任命されます。古事記では山辺之大タカとなっているのを見るに、「鳥」に関わる氏族だったと思われます。
山辺之大タカと天湯河板舉(アメノユカワタナ)は順当に考えて同一人物(同一神)と考えていいでしょう。
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