高石池・茅渟池・狹城池・迹見池を作る

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垂仁天皇(二十二)高石池・茅渟池・狹城池・迹見池を作る

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現代語訳

即位35年秋9月。
五十瓊敷命(イニシキノミコト)を河内国に派遣して高石池(タカシノイケ)と茅渟池(チヌノイケ)を作らせました。冬10月に倭(ヤマト)の狹城池(サキノイケ)と迹見池(トミノイケ)を作りました。その年、諸国に命じてたくさんの池溝(ウナデ=水路)を掘らせました。数800余り。農(ナリワイ)を事業としました。これで百姓に富みが広がり、天下泰平となりました。

即位37年1月1日。
大足彥尊(オオタラシヒコノミコト景行天皇)を皇太子としました。
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解説

大和朝廷は崇神天皇のときに「戸籍」のようなものを作って人民の数を把握しました。税を課すためです。税を徴収する一方で、崇神天皇は船舶を作ってインフラを整備したり、池溝(ウナデ=灌漑用水路)や池も作っています。垂仁天皇もほぼ同様の政策を取っています。

垂仁天皇崇神天皇から引き継いだ政策を粛々と行い、地盤を固めていっている・・・そんな印象があります。
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原文

卅五年秋九月、遣五十瓊敷命于河內國、作高石池・茅渟池。冬十月、作倭狹城池及迹見池。是歲、令諸國多開池溝、數八百之、以農爲事、因是、百姓富寛天下大平也。

卅七年春正月戊寅朔、立大足彥尊、爲皇太子。
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