田道間守は三宅連の始祖

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垂仁天皇(二十八)田道間守は三宅連の始祖

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原文

明年春三月辛未朔壬午、田道間守至自常世国、則齎物也、非時香菓八竿八縵焉。田道間守、於是、泣悲歎之曰「受命天朝、遠往絶域、萬里蹈浪、遙度弱水。是常世国、則神仙祕區、俗非所臻。是以、往來之間、自經十年、豈期、獨凌峻瀾、更向本土乎。然、頼聖帝之神靈、僅得還來。今天皇既崩、不得復命、臣雖生之、亦何益矣。」乃向天皇之陵、叫哭而自死之、群臣聞皆流淚也。田道間守、是三宅連之始祖也。

現代語訳

垂仁天皇が亡くなって翌年の春3月12日。
田道間守(タジマノモリ)は常世国(トコヨノクニ)に到着しました。求めていた非時香菓(トキジクノカクノミ)は八竿八縵(ヤホコヤカゲ…串団子のように連なり、干し柿を吊るしているように実がなっている)を持ち帰りました。
田道間守(タジマノモリ)が帰国すると垂仁天皇が亡くなっていました。ので泣き、悲歎(ナゲ)き言いました。
「命令を天朝(ミカド)から受け、遠くの絶域(ハルカナルクニ)に行きました。万里の波を越え、遥かに遠くの川を渡りました。この常世国は神仙(ヒジリ)の秘区(カクレタルクニ)です。俗(タダヒト)のいる所ではありませんでした。ここ(=日本)と常世の国を行き来する間に自然と10年経ちました。どうして一人で高い波を凌いで、また本土に帰ってこれると思っていましょうか(帰れると思っていなかった)。聖帝(ヒジリノミカド)の神霊(ミタマノフユ)のおかで、どうにか帰ってくることが出来ました。ところが今、天皇はすでに亡くなっていました。復命(=報告する)が出来ませんでした。臣(ヤッコ=部下=田道間守のこと)は生きているといっても、何の益があるでしょうか」
すぐに天皇の陵(ミササギ=墓)に向かい、叫び泣いて自殺しました。群卿(マヘツキミ)はそれを聞いて涙を流しました。田道間守(タジマノモリ)は三宅連の始祖です。
古事記の対応箇所
多遅摩毛理は悲しみのあまり
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解説

以上で日本書紀の垂仁天皇は終了。
田道間守はどこへ
田道間守が行って帰った場所は朝鮮半島か?という話を前の訳ページで書きましたが、往復で10年かかるとなると「朝鮮」はさすがに無い。まぁ、朝鮮だったら、朝鮮て書きますよ。もう新羅も任那も登場しているんだしね。
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