大碓と小碓の出産

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景行天皇(二)大碓と小碓の出産

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現代語訳

景行天皇即位2年春3月3日。
播磨稻日大郎姫(ハリマノイナビノオオイラツメ)
ある伝によると稻日稚郎姫(イナビノワキイラツメ)といいます。
郎姫は異羅菟咩(イラツメ)と読みます。

は皇后になりました。
皇后は二人の男の子を産みました。
第一子は大碓皇子(オオウスノミコ)といいます。
第二子は小碓尊(オウスミコト)といいます。
ある書によると、皇后は三人の男の子を産みました。その第三子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)といいます。

その大碓皇子と小碓尊は同じ日に同じ胞(エ=胎盤)に包まれて生まれた双子です。天皇は喜んで、臼に叫びました。
注:出産と臼には大きな関係があったと考えられています。詳細は解説に。

それでその二人の男の子に大碓(オオウス)と小碓(オウス)と名付けました。この小碓尊は又の名を日本童男(ヤマトオグナ)といいます。
童男は烏具奈(オグナ)といいます。

または日本武尊(ヤマトタケルミコト)といいます。幼いころから雄々しき性格でした。壮(オトコザカリ)になると容貌も魅力的になりました。
身長は一丈(ヒトツエ)で、力が強くて鼎(カナエ=重い器)を持ち上げることができました。
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解説

出産と臼
⚫︎栃木県足利には難産の時に妊婦の夫が臼を背負って家の周りを回る風習があった。
⚫︎伊豆三宅島では妊婦が臼にしがみついて出産する風習があった。
⚫︎アイヌには難産のときには臼をお腹に押し当てるという風習があった。
⚫︎愛知県南設楽郡千郷村では子供が生まれたら、その子供を臼に入れるという風習があった。

ここで景行天皇が「臼を背負って家の周りを回った」と考えるにはあまりに記述が少ないので、断定するのはちょっと。でも記紀関連の面白い話をまとめた本には、割と載ってる話なんでうすよね。
ハッキリ言えるのは「出産と臼」が関わっているということです。そう考えると、コノハナサクヤヒメの出産やサホビメの出産では「出産と火」が大きく関わっていました。これも古代の出産時の習俗を物語にした可能性があります。

つまり日本の神話って「出産習俗」をまとめてる色合いが強いんですよね。個人的には「日本人は出産が大事」と考えていたんじゃないかと思うんです。出産は集落の発展に欠かせない。そんな重大事には当然「神」が関わる。これを神話に取り込むのは必然。ということではないかと。
1丈
1丈は3mだってウィキペディアに書いてありましたよ。
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原文

二年春三月丙寅朔戊辰、立播磨稻日大郎姫一云、稻日稚郎姫。(郎姫、此云異羅菟咩)爲皇后。后生二男、第一曰大碓皇子、第二曰小碓尊。一書云、皇后生三男。其第三曰稚倭根子皇子。其大碓皇子・小碓尊、一日同胞而雙生、天皇異之則誥於碓、故因號其二王曰大碓・小碓也。是小碓尊、亦名日本童男(童男、此云烏具奈)、亦曰日本武尊、幼有雄略之氣、及壯容貌魁偉、身長一丈、力能扛鼎焉。
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