熊襲が朝貢をしない

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景行天皇(七)熊襲が朝貢をしない

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現代語訳

即位12年秋7月。
熊襲(クマソ)が反抗して、朝貢をしませんでした。

8月15日。
景行天皇は筑紫に出発しました。

9月5日。
周芳(スワノクニ)の娑麼(サバ=周防国佐波郡=山口県防府市佐波)に到着しました。そのとき天皇は南を見て、群卿(マヘツノキミタチ)に言いました。
「南の方に烟氣(ケブリ=煙)がたくさん立っている。必ず賊(アタ)がいる」
そこにとどまり、まず多臣(オオノオミ)の祖の武諸木(タケモノロキ)・國前臣(クニサキノオミ)の祖の菟名手(ウナテ)・物部君(モノノベノキミ)の祖の夏花(ナツハナ)を派遣して、その状況を偵察させました。
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解説

朝貢
大和朝廷は崇神天皇の時代に四道将軍を派遣して「領地」というか「勢力範囲」を広げました。だから出雲から野見宿禰(ノミノスクネ)といった人材を集めることが出来たんでしょう。景行天皇が「周防」に「行幸」しているということは、大和朝廷はこのとき山口の端までは「自国」という意識があったんじゃないか?と思います。
それに対して、熊襲が反して朝貢を断ったということは、熊襲は「大和朝廷」に属していない別国だったということです。

これから戦争が始まり、もちろん大和が勝利します。これは当然です。大和は崇神天皇の時代にすでに「戸籍」のようなものを設け、国民から「税」を徴収する体制を整えているのです。熊襲にそのような体制があったとは思えない。当時としては先進国と途上国が戦うようなものだったんじゃないかと思います。
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原文

十二年秋七月、熊襲反之不朝貢。八月乙未朔己酉、幸筑紫。九月甲子朔戊辰、到周芳娑麼。時天皇南望之、詔群卿曰「於南方烟氣多起、必賊將在。」則留之、先遣多臣祖武諸木・國前臣祖菟名手・物部君祖夏花、令察其狀。
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