熊襲八十梟帥の娘の市乾鹿文と市鹿文

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景行天皇(十二)熊襲八十梟帥の娘の市乾鹿文と市鹿文

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原文

十一月、到日向国、起行宮以居之、是謂高屋宮。十二月癸巳朔丁酉、議討熊襲。於是、天皇詔群卿曰「朕聞之、襲国有厚鹿文・迮鹿文者、是兩人熊襲之渠帥者也、衆類甚多。是謂熊襲八十梟帥、其鋒不可當焉、少興師則不堪滅賊、多動兵是百姓之害。何不假鋒刃之威、坐平其国。」時有一臣進曰「熊襲梟帥有二女、兄曰市乾鹿文(乾、此云賦)、弟曰市鹿文、容既端正、心且雄武。宜示重幣以撝納麾下。因以伺其消息、犯不意之處、則會不血刃、賊必自敗。」天皇詔「可也。」

現代語訳

(即位12年)11月日向国(ヒムカノクニ)に到着して行宮(カリミヤ=旅先の仮の宮)を建てて留まりました。これを高屋宮(タカヤノミヤ)といいます。

12月5日。熊襲(クマソ)を討つことを話し合いました、そこで天皇は群卿(マヘツキミタチ=部下)に言いました。
「わたしは襲国(ソノクニ)に厚鹿文(アツカヤ)・迮鹿文(サカヤ)という者がいると聞いた。この二人は熊襲の渠帥者(イサオ=勇ましい人)だ。衆類(トモガラ=仲間・部下)は多い。これを熊襲八十梟帥(クマソノヤソタケル)と言う。その鉾(ツワモノ)には敵うものがいない。師(イクサ)を起こさないようにすれば賊(アタ)を滅ぼすことは難しい。たくさんの兵(ツワモノ)を動かせば、百姓(オオミタカラ)が害を受けることになる。どうしたら、鉾刃(ツワモノ)の威(イキオイ)を借りずに……(つまり戦わずに)この国を平定したいものだ」
すると一人の臣(マヘツキミ)が進み出ていいました。
「熊襲梟帥(クマソタケル)には二人の娘がいます。姉を市乾鹿文(イチフカヤ)といいます。
乾は賦(フ)と読みます。

妹は市鹿文(イチカヤ)といいます。
容姿は美しく、心は雄々しいです。
たくさんの幣(マヒナヒ=贈り物)を示して、麾下(オモト=幕下=幕は幕府と同じで出陣中の状態を表す言葉。よって戦争しているときの妃が入る場所のこと)に召し入れるべきです。それで、その消息(アルカタチ=熊襲梟師の居所)を聞いて、不意にそこを襲えば、刃を血濡らさずに賊(アタ)は自然と必ず破れるでしょう」
天皇は
「良い案だ」
と言いました。
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解説

汚いなぁ
わかりやすく言うと・・・
熊襲の勇猛果敢なクマソタケルがあんまりに強いんで、まともにやったら勝てそうもない。どうしたらいいかと、群臣と話し合ったら、「クマソタケルの娘に貢物を見せて、妃にしましょう。それで隠れ場所を聞いて、奇襲をかけたら簡単に勝てますよ」と提案があって、天皇は「いいねぇ!」と言った。というところまで。

この後はもっと酷い話になるのですが、そこは次のページに。
天皇の策略はなぜか?
わたしはこのサイトで現代語に訳している中で「日本神話はエグい策略が多い」と思っていましたが、どうもこれは誤解なんじゃないかと最近は思うようになりました。天皇は「スメラミコト」と読みます。このスメラというのは「清らか」という意味があります。よって天皇の天皇たる根拠の一つに「清らか」というのは大事なポイントであるはずです。そんな清らかな天皇が「人を殺す」ことはタブーだったのではないか?と思うのです。

普通の英雄は何かの「武勇伝」があるはずです。首をはねたとか一刀両断したとか、そういう血湧き肉躍る物語があるものです。ヤマトタケルにはそれがあります。ヤマトタケルは兄を引きちぎり、クマソタケルを殺し、イズモタケルを殺し、とその手は血にまみれています。しかしヤマトタケルはその武勇で大和朝廷に貢献したにもかかわらず、結局天皇にはなれませんでした。もう一つは中大兄皇子です。中大兄皇子は「自分の手で」蘇我入鹿を宮中で暗殺します(645年)。その後には天智天皇になるのですが、蘇我入鹿暗殺の23年後(668年)のことです。これだけの空白に対して、いろいろな説があるのですが、わたしはもしかすると「死の穢れ」が原因だったのではないか?と考えています。
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