八女国の地名説話

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景行天皇(二十一)八女国の地名説話

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現代語訳

(即位18年)7月7日。八女県(アメノアガタ=現在の福岡県八女郡・筑後市・八女市)に到着しました。南(ミナミノカタ)の粟岬(アワノミサキ=地名・未詳)を見ました。そして天皇は言いました。
「その山は峯岫(ミネクキ)が重なっていて、麗しいことこの上ない。もしかしてその山に神がいるのか??」
すると水沼県主猿大海(ミヌマノアガタヌシサルオオミ)は言いました。
「女神(ヒメカミ)がいます。名を八女津媛(ヤメツヒメ)といいます。常に山の中にいます」
八女国の名前はこれ(女神の名前)によります。
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解説

女神と山
日本人は穀物神が山に住み、そこから春になると里にやってきて田畑に宿り、食物に神の霊威が注がれて生育し、収穫が終わると神は山に帰っていくというサイクルを繰り返すと考えていました。それで山の神は大抵「女神」です。

これは日本が農耕社会であり、子供を産む「女」が豊穣の象徴だったことが根底です。また女神はブサイクで、山に人間の女が入ることを嫌います。ブサイクだから女に嫉妬するからです。それで山には男しか入れないことになっています。

こういった世界観がやはり九州にもあったのでしょう。九州がむしろ本場だった。九州には農耕社会があり、世界観の根本があった。ところが景行天皇の時代に大和朝廷に干渉を受けるようになった。なぜか? 崇神天皇以降、中国の政治制度と儒教を採用することでヤマトが発展したからです。
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原文

丁酉、到八女縣。則越藤山、以南望粟岬、詔之曰「其山峯岫重疊、且美麗之甚。若神有其山乎。」時水沼縣主猨大海奏言「有女神、名曰八女津媛、常居山中。」故八女國之名、由此而起也。八月、到的邑而進食。是日、膳夫等遺盞、故時人號其忘盞處曰浮羽、今謂的者訛也。昔筑紫俗號盞日浮羽。
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