西国遠征の報告

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景行天皇(二十七)西国遠征の報告

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原文

廿八年春二月乙丑朔、日本武尊奏平熊襲之狀曰「臣頼天皇之神靈、以兵一舉、頓誅熊襲之魁帥者、悉平其国。是以、西洲既謐、百姓無事。唯、吉備穴濟神及難波柏濟神、皆有害心、以放毒氣、令苦路人、並爲禍害之藪。故、悉殺其惡神、並開水陸之徑。」天皇於是、美日本武之功而異愛。

現代語訳

即位28年春2月1日。日本武尊(ヤマトタケルミコト)は熊襲を平定した様子を天皇に報告して言いました。
「臣(ヤツカレ)であるわたしが天皇の神霊(ミタマノフユ)に加護によって、兵を挙げて熊襲の魁帥者(ヒトゴノカミ=首領のこと)を誅殺し、その国のすべてを平定しました。それで西洲(ニシノクニ=大和より西の国)はすでに静まりました。百姓は問題ありません。ただ、吉備の穴済(アナワタリ=広島県福山市の海)の神、および難波の柏済(カシワワタリ=大阪市淀川河口付近の船着場)の神が、害をなす心があり、悪い息を放って、道行く人を苦しめていました。また禍害(マガ)の藪(モト…山賊や強盗の隠れる場所)になっていました。それですべて悪しき神を殺し、ついで水陸(ミズクガ)道を開きました」
天皇は日本武(ヤマトタケル)の功績を褒めて、特に寵愛しました。
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解説

ヤマトタケルの功績とは交通路の確保ではないか
景行天皇とその息子のヤマトタケルの西国遠征によって、九州に「領地が増えた」ような気がしますが、この文章を読むと、大和朝廷が広げたのは領地というよりは、大和と九州の「交通路」だったと思われます。

日本は古来から貿易が盛んでした。
盛ん、というか、貿易ってのは儲かるわけです。あるところでたくさん生産できる「モノ」があったとします。古代では北陸では「ヒスイ」が取れたわけです。でも、北陸だけで流通するなら、ヒスイの価値は低いんですよね。なにせ北陸ではヒスイが沢山取れるから珍しくないので。そこでヒスイを他の地域に売るようになった。すると、北陸に物々交換で「モノ」が集まるようになります。それで、豊かになる。特に珍しいものを産出する地域は潤ったはずです。

朝鮮半島なら鉄。日本は魏志倭人伝によると、いろんな物産があって、日本の生産物は珍重されたと書かれています。貿易は儲かる。そのためには「交通路」が大事だった。日本には穏やかな「瀬戸内海」があり、それを抜けると九州があった。この交通路を開くことが貿易には大事だった。それが、景行天皇とヤマトタケルの西国遠征による功績だったんでしょう。

そして、これからヤマトタケルは東国へと遠征をします。わたしは、大和という国は西国と東国を結ぶ「貿易立国」だったのではないかと思うのです。今で言うところのマレーシアのような。それはひっくり返すと、東国には西国に劣らない「文化」があった…可能性が高いということです。もしも、東国に「そこそこの大国」がなければ、ヤマトは貿易路の端っこなのです。どんなに頑張っても日本の中心には成れない、と思うのです。
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