蝦夷の性質、日本武尊は神人

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景行天皇(二十九)蝦夷の性質、日本武尊は神人

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原文

於是日本武尊、雄誥之曰「熊襲既平、未經幾年、今更東夷叛之。何日逮于大平矣。臣雖勞之、頓平其亂。」則天皇持斧鉞、以授日本武尊曰「朕聞、其東夷也、識性暴强、凌犯爲宗、村之無長、邑之勿首、各貪封堺、並相盜略。亦山有邪神、郊有姦鬼、遮衢塞俓、多令苦人。其東夷之中、蝦夷是尤强焉、男女交居、父子無別、冬則宿穴、夏則住樔、衣毛飲血、昆弟相疑、登山如飛禽、行草如走獸。承恩則忘、見怨必報、是以、箭藏頭髻、刀佩衣中。或聚黨類、而犯邊堺、或伺農桑、以略人民。擊則隱草、追則入山、故往古以來、未染王化。今朕察汝人也、身體長大、容姿端正、力能扛鼎、猛如雷電、所向無前、所攻必勝。卽知之、形則我子、實則神人。寔是、天愍朕不叡・且国不平、令經綸天業、不絶宗廟乎。亦是天下則汝天下也、是位則汝位也。願深謀遠慮、探姦伺變、示之以威、懷之以德、不煩兵甲、自令臣隸。卽巧言而調暴神、振武以攘姦鬼。」
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現代語訳

それで日本武尊(ヤマトタケルミコト)は雄叫びして言いました。
「熊襲はすでに平定し、まだ幾ばくかの年も経っていないというのに、今また東の夷(ヒナ=異民族)が叛ました。いつの日にか平定いたしましょう。臣(ヤツカレ=部下である自分のこと)は(異民族を平定するのは)苦労といっても、ひたすらにその乱れを平定しましょう」
それで天皇はすぐに斧(オノ)・鉞(マサカリ)を持ち、日本武尊に授けて言いました。
「わたしが聞くところによると、その東の夷(ヒナ)は識性(タマシイ=心の性質)が荒々しく強い。殺人レイプは日常のこと。それぞれの封堺(サカイ=境界)を貪り合い、略奪しあう。村(フレ)には長がいない、邑(ムラ)には首(オビト)がいない。また、山に悪い神がいる。郊(ノラ=野)には姦しい鬼がいて、交叉路で遮って道を塞ぐ。たくさんの人が苦しんでいる。その東の夷(ヒナ)の中に蝦夷はとくに強い。男女は一緒に住み、父と子に別が無い。冬は穴に寝て、夏は巣に住む。毛皮を着て、血を飲み、兄弟で疑いあう。山に登ると飛ぶ鳥のよう。草原を行くと走る獣のよう。恩恵を受けても忘れてしまう。恨みは必ず復讐する。矢を頭髻(タキフサ=髪を束ねたもの)の中に隠し、刀を衣の中に帯刀する。あるときは党類(トモガラ)を集めて、辺境を犯す。あるときは農作業中をうかがって人民から略奪する。弓を射つと草に隠れる。追いかけると山に入る。古(いニシエ)から現在まで、王化(オモブケ)に従ったことがない(王や氏族の配下になったことが無い)。

今、わたしがお前を見ると、その人となりは、身長は高く大きく、容姿は端正。力が強くて鼎(カナエ=鉄の鍋の一種で重いものの代表)を持ち上げることもできる。勇猛さは雷電(イナツルビ)のよう。向かうところに敵無し。攻めれば必ず勝つ。だから分かった。形は我が子ではあるが、その実は神人なのだ。まことに天が、わたしが未熟で、国が乱れているのを悲しんで、天業(アマツヒツギ=天子の仕事、天皇の業務)を正しく成し、宗廟(クニイエ=天皇の家系)が絶えないようにとのことだろう。
この天下はお前の天下だ。この位(=天皇)はお前の位だ。願わくは深謀遠慮し、悪い心を探り、叛く意思をうかがって、時には武力を示して、懐(ナツ)くものには徳をもって対処し、兵甲(ツワモノ=武力=武器)を使わずとも自然と従わせるようにしろ。言葉を巧みに扱い、荒々しい神を鎮め、武を振るって悪い鬼を追い払え」
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解説

興味深い話がたくさん
まず異民族とその中でも蝦夷のことが描かれています。蝦夷は古くは「毛人」と描かれているところから、「毛が多い」イメージがあったのでしょう。

それが蝦夷となったのは、蝦(エビ=海老)のように腰が曲がっているとか、なんとか言われますが、実際のところはよく分かっていません。しかし、蝦夷の性質を読むと、「エビ」という海の生物の名を当てるのはちょっと不自然ですよね。
父子の別なし
日本は当時すでに儒教の影響を受けていたので、「儒教の考えに反している性質」は否定的に描かれます。それが「父子に区別がない」というもの。儒教では父親は偉く、子は父を敬うのが礼儀ですから、これは儒教ではNG。そういう意味かと思われます。
斧と鉞
斧の大きいやつが「マサカリ」です。なぜこの二つを天皇が授けたのか?は、分かりません。「実際に渡した」のか、何かの「象徴」なのか・・・・・・斧と鉞はおそらくは「開墾」を意味しているのだろうと思います。

なぜか?

東征以前に行われたヤマトタケル景行天皇の九州遠征はおそらくは貿易航路の開拓と航路の安全を確保するものだったのでしょう。とすると東国も同様の意味があったのだろうと思います。しかし、東国遠征には別の理由もあった。それが「米作りの普及」です(九州では米作りがすでにあった)。

大和朝廷にとって米は大事なものでした。税金代わりに集めていた、というのもあるのでしょうが、最大は「通貨代わり」だったからです。実際に「米」でやり取りしたという意味ではなく、貿易をするときに「この商品は米でいったらこのくらいだね」という具合に、共通価値というものがあったほうが貿易がしやすかったから、ではないかと思うのです。

その米の作り方を普及する上で役割を担ったのが「神」だった。神は別に大和朝廷が押し付けたわけではなく、米作りさえ基盤にしていれば、地域の神でも良かった。その時に、地域の神を祀りつつ、地域と融合していったのが「中臣氏」だった。中臣氏は関東で鹿島神宮を担当し、タケミカヅチを祀りました。タケミカヅチが単なる地方の神で、中臣氏が古来から祀っていた神ではないのは、そういう理由からではないか?と思います。
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