斧鉞を承り再拝し…

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景行天皇(三十)斧鉞を承り再拝し…

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現代語訳

日本武尊(ヤマトタケルミコト)は斧・鉞(マサカリ)を受け取って、再拝(オガミ)して言いました。
「昔、西の方を征伐した年に、皇霊(ミタマ=天皇の霊)の威(フユ=威力)を借りて、三尺剣(ミジカキツルギ=短刀)をひっさげて、熊襲国(クマソノクニ)を撃ちました。未だ浹辰(イクバクノトキ)も経っていないうちに、賊首(ヒトゴノカミ=賊の首領)は罪に従いました(=罰を受けた)。今、また神祇の霊(ミタマノフユ)の力を借りて、天皇の威(イキオイ)を借りて、(東へ)行ってその境を見て、徳教(ウツクシビ=人徳)を示して接しても、いまだに従わないならば、すぐに兵を挙げて撃ちましょう」
重ねて再拝しました。天皇は吉備武彥(キビノタケヒコ)と大伴武日連(オオトモノタケヒノムラジ)に命じて、日本武尊(ヤマトタケルミコト)に従わせました。また七掬脛(ナナツカハギ)を膳夫(カシワデ)にしました。
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性格・能力

儒教の影響
ヤマトタケルが「徳」を示すことで従わなければ兵をあげると発言したのは、儒教の「徳治主義」の影響です。
吉備武彥
ヤマトタケルの九州遠征では美濃や尾張の氏族が関わったのに対して、今度は吉備です。東国との貿易によって利益を得る氏族の名前があるというのは、やはり東征には「交易路の開拓」が大きな目的だったのではないか?と。
大伴武日連
伴氏の祖先は道臣。日本書紀によると槇原に宅地を貰っています。かといってこの大伴武日連が槇原に住み続けているのかは分かりません。古事記には従軍の記述がありません。

大伴武日連は垂仁天皇のところでも名前だけ登場しています。つまり武日は先代の垂仁天皇の時代からの重鎮です。
参考:道臣命と大久米命 二年春二月甲辰朔乙巳 定功行賞 垂仁天皇(十四)先代の功績
七掬脛(ナナツカハギ)
ナナツカのツカは「長さ」で「ハギ」は防具のこと。よってナナツカハギで、長い防具のとなる。でも、ここでのナナツハギは当然、防具ではなく「人名」。そういう武人がいて、その人物を膳夫…つまり料理人として連れて行ったよ、ということです。

膳夫というのは料理人なんですが、戦争とも関わりがあります。神武天皇の東征で戦争勝利を願って飴を作ったように、美味しい料理を作るということは神が喜んで戦争に勝たせてくれるという考えがあったのでしょう。だから、武人と料理と戦争は繋がっているんです。
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原文

於是、日本武尊乃受斧鉞、以再拜奏之曰「嘗西征之年、頼皇靈之威、提三尺劒、擊熊襲國、未經浹辰、賊首伏罪。今亦頼神祗之靈借天皇之威、往臨其境示以德教、猶有不服卽舉兵擊。」仍重再拜之。天皇、則命吉備武彥與大伴武日連、令從日本武尊。亦以七掬脛爲膳夫。
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