焼津の地名説話と叢雲と草薙の剣

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景行天皇(三十二)焼津の地名説話と叢雲と草薙の剣

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原文

是歲、日本武尊初至駿河、其處賊陽從之欺曰「是野也、糜鹿甚多、氣如朝霧、足如茂林。臨而應狩。」日本武尊信其言、入野中而覓獸。賊有殺王之情王謂日本武尊也、放火燒其野。王、知被欺則以燧出火之、向燒而得免。一云、王所佩劒藂雲、自抽之、薙攘王之傍草。因是得免、故號其劒曰草薙也。藂雲、此云茂羅玖毛。王曰「殆被欺。」則悉焚其賊衆而滅之、故號其處曰燒津。

現代語訳

(即位40年)その年、日本武尊(ヤマトタケルミコト)は初めて駿河(現在の静岡県中部)に到着しました。その土地の賊(アタ=敵)は偽って従ったふりをして、欺いて言いました。
「この野原に大きな鹿が甚だ多いです。吐く息は朝霧のよう。足は茂った林のよう。(野に)行って狩りをしてはどうですか」
日本武尊はその言葉を信じて、野の中に入って覓獸(カリ=狩り…といっても漢字から考えるにウォッチングという意味かもしれない)をしました。賊(アタ)は王(ミコ=皇子)を殺そうという情(ココロ)があって
王(ミコ)とは日本武尊をいいます。

その野に放火し焼きました。
王は騙されたと知って、すぐに火打ち石で火を起こして、迎え火で焼いて難を免れました。
ある書によると、王(ミコ)の佩(ハ)いた剣の叢雲(ムラクモ)が自然と抜けて、王の側の草を薙ぎ払った。それで難を免れた。よってその剣を「草薙」というようになった。
叢雲は茂羅玖毛(ムラクモ)と読みます。

王は
「完全に騙された」
と言いました。すぐにすべてのその土地の賊衆(アタドモ)を焼いて滅しました。それでその土地を焼津(ヤキツ)ちいいます。
古事記の対応箇所
焼津の火攻め
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解説

火事の対応方法
江戸時代に「め組」とか火消しの人がたくさんいました。江戸は木造家屋がびっしりと立っていたから火事が多かったわけです。それで火消しの人が集まって、何をするのかというと、水をかけて火を消すこともしますが、それだけじゃ全然間に合わない。木と紙でできた家が密接に立っていてそこいらじゅうが燃えるものばっかりですから。そこで火消しの人は、何をするかというと、出荷した家の近くの家を引き倒すんです。それで、火事が燃え移らないようにする。それで「ここに火があるから、そっちの家を引き倒してくれよ」と目立つところで合図を送るために、派手な「纏(マトイ)」というお祭りの山車みたいなものを振り回すわけです。

江戸時代はそれが「防災システム」として機能し、しかも出火がよくあったことから「江戸の華」とまで言われるようになったわけです。

火をつけられたヤマトタケルでしたが、迎え火と草を刈ることで難を免れることができました……というのは史実か否かというよりは、古代の成人儀礼か、古代の消防活動を物語にしたものだと考えた方がいいでしょう。
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