新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる

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景行天皇(三十五)新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる

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原文

蝦夷既平、自日高見国還之、西南歷常陸、至甲斐国、居于酒折宮。時舉燭而進食、是夜、以歌之問侍者曰、

珥比麼利 菟玖波塢須擬氐 異玖用伽禰菟流

諸侍者不能答言。時有秉燭者、續王歌之末而歌曰、

伽餓奈倍氐 用珥波虛々能用 比珥波苔塢伽塢

卽美秉燭人之聰而敦賞。則居是宮、以靫部賜大伴連之遠祖武日也。

現代語訳

蝦夷をすでに平定し、日高見国(ヒタカミノクニ=未詳)より帰って西南(ヒツジサツノカタ)の常陸(ヒタチ=茨城県)を経て、甲斐国(カイノクニ=現在の山梨県)に到着し、酒折宮(サカオリノミヤ)に滞在しました。

その時に舉燭(ヒトモシ)て、食事をしていました。この夜、歌で侍者(サブラヒヒト=従者)に問いました。

新治(ニイバリ) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
新治と筑波を過ぎて、どのくらいの夜を過ごしただろうか?

諸々の侍者(サブラヒヒト)は答えられませんでした。その時に秉燭者(ヒトモセルモノ)がいました。王の歌の末に続けて、歌を歌いました。

日々(カガ) 並(ナ)べて 
夜(ヨ)には九夜(ココノヨ) 日には十日(トオカ)を
数えてみると、夜は九夜、昼は十日です。

ヤマトタケルは)すぐに秉燭者(ヒトモシ)の聡明さを褒めて、厚く褒美を与えました。この宮に滞在して、靫部(ユケイノトモノオ=矢を入れる筒)を大伴連(オオトモノムラジ)の遠祖の武日に与えました。
古事記の対応箇所
酒折宮での老人と歌
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解説

日高見国
日高見国は明確な土地名ではなく、「日=太陽」を見る国という意味で、自分の位置から東の国をことを漠然と指すのではないかと、思われます。
物語の意味
食事をしていて、歌を歌い、うまい歌を歌ったものに褒美をやる。おそらくはそういう神事があったのではないか?と思います。古事記では、「うまいこと歌った老人」が「東国造」に任命されています。

日本では上手に歌が歌えるということは、神を感動させられるということであり、神を感動させることができれば、ご機嫌となり、農業は豊作、戦争は勝つ、という具合に重宝します。まぁ、歌だけでなく料理もそうなんですが。

それでうまいこと言った老人に「東国造」を任命するわけです。ヤマトタケルにとっては、歌がうまい人を後方支援させれば、何かと都合がいいのです。
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