宴会に参加しない稚足彥尊と武内宿禰

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景行天皇(四十二)宴会に参加しない稚足彥尊と武内宿禰

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現代語訳

即位51年春1月7日。群卿(マヘツノキミタチ)を呼び寄せて宴会を開いて数日が経ちました。そのとき、皇子の稚足彥尊(ワカタラシヒコノミコト=成務天皇)・武内宿禰(タケノウチノスクネ)が宴会の庭に参加しませんでした。

天皇は(二人を)呼び寄せて、その理由を問いました。
「その宴会の日には群卿(マヘツノキミタチ=部下)と百寮(ツカサツカサ=官僚)は必ずその心は戯遊(アソビ)のことばかりで、国家のことを考えません。もし狂生(クルエルヒト)がいて、墻閤(ミカキ=宮の壁や垣根)の隙をうかがおうとすることがあったら。そこで門下(ミカキノモト=門)に侍(サブラ)いて非常(オモイノホカ)に備えたのです」
天皇は言いました。
「灼然(イヤチコ=よく分かる)。」
灼然は以椰知舉(イヤチコ)と読みます。

特別に皇子を寵愛するようになりました。
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解説

ワカタラシヒコノミコト
次の天皇の成務天皇となる皇子です。母親は八坂入媛(ヤサカイリビメ)で父は当然ながら景行天皇。そして長男です。これまで末子相続で来た皇統がここで長男に受け継がれるというのは、景行天皇の時代に何かがあった、と考えるべきか、「儒教」の影響が見られる崇神天皇から3代が経ち、「長子相続」が浸透してきたと考えるべきか。
儒教の影響
この「宴会に参加しなかったのは、関係者全員が宴会に参加すると隙ができて、襲われたらひとたまりもないから」という、あまりに出来すぎた皇子の話は、儒教の影響ではないか?と思います。
儒教は「徳」がある人物が上に立つというもので、「いかに徳があるか?」を示すことがとても大事になります。中国の歴史書が権力者の徳に着目した説教くさいものになっているのはそのためです。
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原文

五十一年春正月壬午朔戊子、招群卿而宴數日矣。時皇子稚足彥尊・武內宿禰、不參赴于宴庭。天皇召之問其故、因以奏之曰「其宴樂之日、群卿百寮、必情在戲遊、不存國家。若有狂生而伺墻閤之隙乎。故侍門下備非常。」時天皇謂之曰「灼然。(灼然、此云以椰知舉。)」則異寵焉。
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