景行天皇(四十六)皇后の死と新たな皇后

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景行天皇(四十六)皇后の死と新たな皇后

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現代語訳

即位52年夏5月4日。皇后の播磨太郎姫(ハリマノオオイラツメ)が亡くなりました。

秋7月7日。八坂入媛命(ヤサカノイリビメノミコト)を立てて皇后としました。

即位53年秋8月1日。天皇は群卿(マヘツノキミタチ)に詔して言いました。
「わたしは愛した子を偲ぶ気持ちがいつの日か無くなってしまった。願わくば、小碓王(オウスノミコ=日本武尊のこと)が平定した国を巡狩(メグリミ=巡り見)たいと思う」
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解説

播磨太郎姫(ハリマノオオイラツメ)
播磨太郎姫(ハリマノオオイタツメ)は小碓王、つまり日本武尊の生母です。

皇后だった播磨太郎姫が死んだことで、次の八坂入媛(ヤサカイリビメ)が皇后となります。「景行天皇(五)妃達とその皇子と皇女」によると男女13人を生み、次の成務天皇の生母です。
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原文

五十二年夏五月甲辰朔丁未、皇后播磨太郎姬薨。秋七月癸卯朔己酉、立八坂入媛命爲皇后。

五十三年秋八月丁卯朔、天皇詔群卿曰「朕顧愛子、何日止乎。冀欲巡狩小碓王所平之國。」是月、乘輿幸伊勢、轉入東海。冬十月、至上總國、從海路渡淡水門。是時、聞覺賀鳥之聲、欲見其鳥形、尋而出海中、仍得白蛤。於是、膳臣遠祖名磐鹿六鴈、以蒲爲手繦、白蛤爲膾而進之。故、美六鴈臣之功而賜膳大伴部。十二月、從東國還之、居伊勢也、是謂綺宮。
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