当国の幹了しい者をその国郡の首長に

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成務天皇(二)当国の幹了しい者をその国郡の首長に

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原文

三年春正月癸酉朔己卯、以武內宿禰爲大臣也。初天皇與武內宿禰同日生之、故有異寵焉。

四年春二月丙寅朔、詔之曰「我先皇大足彦天皇、聰明神武、膺籙受圖、洽天順人、撥賊反正、德侔覆燾、道協造化。是以、普天率土、莫不王臣、稟氣懷靈、何非得處。今朕嗣踐寶祚、夙夜兢惕。然、黎元蠢爾、不悛野心。是、国郡無君長、縣邑無首渠者焉。自今以後、国郡立長、縣邑置首。卽取當国之幹了者、任其国郡之首長、是爲中區之蕃屏也。」

現代語訳

即位3年春1月7日。
武内宿禰(タケシウチノスクネ)を大臣(オオオミ)としました。これより前、天皇(成務天皇)と武内宿禰は同じに生まれました。それで特別に寵愛しました。

即位4年春2月1日。天皇は詔しました。
「わたしの前の天皇の大足彦天皇(オオタラシヒコノスメラミコト景行天皇)は聡明(サトク)神武(タケ)く、籙(ツギテ)に膺(アタ)り、図(シルシ)を受けた(天啓があったという意味)。天(アメ)に洽(カナ)い、人に順(シタガ)い、賊(ゾク)を払い、正しく変えた。徳(メグミ=人徳)は覆燾(オオイスル=覆い照らす)に侔(ヒト=等しい)しい。道(=人の道)は造化(ナシイズル)に協(カナ)う。普天率土(アメノシタ=天下)は王臣(シタガ)わない、ということは無い。稟氣懷靈(ヨロズノモノ)は安らかだった。
今、わたしが(皇位を)継いで、宝祚(アマツヒツギ=天からの使命)を行っている。が、夙(ツト=以前より)に夜はわななき恐ろしい。しかし、黎元(オオミタカラ=百姓・人民)は蠢爾(ムクメクムシノゴトク=蠢く虫のように)、野(アラ)き心を改めない。これは国郡(クニコオリ)に君長(ヒトゴノカミ=首長)がおらず、県邑(アガタムラ)に首渠(オビト)が居ないからだ。これ以降は、国郡に長を立て、県邑に首(カミ)を置こう。すぐに当国(アタレルクニ=それぞれの国の)幹了(オサオサ)しい者(=長にふさわしいもの)を選んで、その国郡の首長(ヒトゴノカミ)に任じなさい。これ中区(ウチツクニ=畿内のこと)の蕃屏(カクシ=畿内を守る垣根)になるだろう」
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解説

武内宿禰は同日生まれ
成務天皇と武内宿禰は同日生まれということ。うーん、なんか変ですね。もしかすると成務天皇の功績は武内宿禰に吸い込まれているのかもしれない。ちなみに、武内宿禰の子の平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)は仁徳天皇と同日生まれ。何かがある。記紀では武内宿禰の死の記述がない。
成務天皇の功績
色々と書いてありますが、ようは「最近の世の中の乱れは、地方都市に首長が配置されていないからだ。首長を任じよう」ということです。ここで注目したいのは「首長を中央から派遣」ではないく、「その土地の有力者を首長に任じた」ということです。大和朝廷が「連合国家」であり、中央集権は過去よりも進んだとはいえ、中央に強権があったわけではないということです。
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