父への顧情を慰めたい

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仲哀天皇(二)父への顧情を慰めたい

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現代語訳

即位元年の春1月11日。太子は天皇位につきました。
秋9月1日に母の皇后(=兩道入姫命)を皇太后としました。
冬11月1日に群臣(マヘツノキミタチ)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「私は、未だ弱冠(カウブリ=年が若い=成人していない)に及ばないようなときに、父の王(=日本武尊)は既に崩御している。神霊(ミタマシイ)は白鳥となって天に昇った。偲び奉る心は1日も休むこと無い。願わくは、白鳥を捕まえて、陵域(ミサザキノメグリ=墓に近く)の池で飼いたい。それでその鳥を見つつ、顧情(シノブタテマツルココロ)を慰めたい」
すぐに諸国に令(ノリゴト)して白鳥を献上させました。
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解説

古事記には無い
仲哀天皇が幼いときに、父の日本武尊が死んでしまい、白鳥となって天に昇った。その喪失の悲しみを慰めるために白鳥を、墓の近くの池で飼いたいと思って、諸国に白鳥を献上させようとする、というところまでです。

白鳥は「死者の魂」の象徴であり、なおかつ、「稲作の神霊」の象徴でもあります。これは別に今に始まったことではなく、「常世の国」が「神の国であり死者の魂の集う国であり、同時に穀物の神霊がいる国」ということから考えても、日本は「死者の魂」と「穀物の神霊」というのはセットです。というか、見えない特別な力は皆、「神」とか「霊」という言葉で括っちゃうものなので、白鳥が「死者の魂」+「稲作の神霊」であっても、なんら新しい概念でもない、ってことです。

ただ白鳥というのが妙。
白鳥は白いわけですし、季節で移動する渡り鳥ですから、「米作り」に重要な「季節」を神格化する日本の「神・霊」の象徴としてはピッタリです。でも、日本武尊のところまでは、そんな「白鳥=神霊」というのはほぼ無かった。ということは、日本武尊は「新しい宗教」を象徴しているんじゃないかと思うのです。
もちろん「鳥を神格化」するというと出雲があるので、出雲系列の「宗教」と考えるとシックリ来ます。
関係あるかどうかは、分かりませんが、「垂仁天皇(十二)鵠(クグイ)の追跡」では鵠(白鳥)を追いかけて、鳥取で捕まえています。ただし、この仲哀天皇景行天皇では「白鳥」と書いてあるのに、垂仁天皇の時代は「鵠」と書いてある。同じ「白鳥」を表すとは言え、言い方・文字を変えるということは意味(ニュアンス)が違うと考えるべきかと思います。

稲作の象徴ではないか?
稲作は日本武尊以前からも当然、やっていたのですね。でも、この時代に稲作は大きな意味を持つようになった。その意味とは「通貨」です。実際に通貨として機能したのではなく、「共通価値」として「米」が扱われるようになったのだと思うのです。

1年で1人が消費する米の量は決まっています。これを基準に取引があった。これで「貿易を円滑」にした。共通価値があった方が、取引が活発になるからです。その中心にあったのが「ヤマト」です。ヤマトは東国と西国の貿易の中心都市だった。そして同時に米という共通価値を広めるという宗教都市でもあった。それが「纒向遺跡」ではないかと思うのです。纒向は3世紀後半の遺跡です。日本武尊はおそらく4世紀前半の英雄です。「米」という共通価値を広めた経緯が日本武尊の英雄譚になった、というのが個人的な見解です。
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原文

元年春正月庚寅朔庚子、太子卽天皇位。秋九月丙戌朔、尊母皇后曰皇太后。冬十一月乙酉朔、詔群臣曰「朕、未逮于弱冠、而父王既崩之。乃神靈化白鳥而上天、仰望之情一日勿息。是以、冀獲白鳥養之於陵域之池、因以覩其鳥、欲慰顧情。」則令諸国、俾貢白鳥。
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