クソコラグランプリと日本神話に見る日本人の性質

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クソコラグランプリと日本神話に見る日本人の性質

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概要

まとめ
スサノオの悪行が「天の岩戸事件(太陽消失)」を起こした。つまり日本人には個人の悪行が全員の不幸を呼ぶという考えがある。これが個人の行動によって税金が投入されるのを嫌う日本人の考えの根本。
●天の岩戸にアマテラスが隠れて、太陽が消失したとき、神々は天の岩戸の前で「宴会」を開き、アメノウズメは乳房をはだけ、女性器を見せて踊った。それを見て神々は爆笑した。クソコラグランプリはこのアメノウズメの踊りに近い。
●欧米では個人の命は神のものであり、好き勝手していいものではないが、日本人は命を個人の所有物だと思っている。これも後藤さんと湯川さんへの日本人の考えに関係している。
●その一方で日本人は「怨霊」を恐れる。2億ドルを払ってでも助けてほしいというのはこの怨霊への恐怖から来ている。
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クソコラグランプリの経緯

2015年1月。湯川さんと後藤さんがISISに拉致され、その身代金として2億ドルを求められたことに対して、日本のツイッター民がクソコラグランプリという、まぁ、おふざけで反応したことが話題になっています。欧米のメディアは呆れつつも、「テロリストが間抜けに見えて、これって案外いいんじゃね?」という意見もあり、あながち否定されていないのが、また日本の健全(だと思い込んでいる)マスコミや良識派の人たちにとってショックのよう。

そういう詳細は別のサイトで調べてもらうとして、このサイトではクソコラグランプリと日本神話の関係について書いてみたいと思います。
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前知識として

和を乱すスサノオ
日本の価値観の根本にあるものが「天の岩戸神話」です。スサノオ高天原で悪行を働き、それでキレた天照大神(アマテラス=太陽)が岩戸に隠れるという結果を招きます。太陽が隠れ、昼が無くなり、邪神がはびこり、大変なことになります。この事態を高天原の神々は一致団結して解決するのですが、この方法が面白いのです。天の岩戸の前で宴会をするのです。宴会の騒ぎに驚いたアマテラスがちょっと岩戸を開けて宴会の様子を覗き込むと、天手力男(アメノタジカラオ)という腕力の強い神様が岩戸をこじ開けて、アマテラスを岩戸から引っ張りだし、なんとか世界に太陽が帰ってきたのです。その後、スサノオは罪を問われて高天原から追放されてしまいます。

日本人にとって罪とは

神話の意味①罪と天変地異
この神話には幾つかの日本人独特の思想が隠れています。
まず一つは「悪行(罪)が天変地異を呼ぶ」ということです。
つまり個人の罪が全員に及ぶのです。
よって日本人は「和を乱す」ものを嫌います。
これが湯川さんと後藤さんに対する日本人の態度に関わってきます。
もしもこの二人が会社員で仕事で中東に居て、不幸にして誘拐されたのならば、日本人の態度は違います。もっと積極的に救出を唱えるでしょう。でも周囲の忠告を無視して二人がそれなりの意思を持って、危険地域に乗り込んだのであれば、それは和を乱す行為です。むしろ、この軽率な行動で「日本人の税金が投入された」ら、「ふざけんな!」となるのです。スサノオが悪行を働いて(=危険地域に行く)、太陽が隠れる(=税金が払われる)のと同じです。
●日本の神話を知っている日本人は少ないのだから、このような理屈は当てはまらないと言うかもしれませんが、そもそも神話が「日本人の価値観」に基づいて作られているだけなので、神話を知っているかどうかは関係ないです。神話は日本人の価値観を分かりやすく表現した、ただそれだけです。

事件の対応方法

神話の意味②ストリップショーで解決
もう一つの価値観が「対応方法」です。
太陽が消えるという天変地異に対して日本人は「宴会を開く」という対応をしたのです。

これは日本人が「神の気まぐれ」を鎮めるためには、神様がご機嫌になるように楽しいことをする、という行動原理に基づくものです。

ただの宴会ではありません。アメノウズメという女神は上半身裸になり、腰に巻いた布をはだけて、女性器をあらわにして、桶をひっくり返したステージに立ち、踏みならして踊ったのです。それで高天原の神々は大爆笑です。その楽しそうな声にアマテラスは岩戸から引っ張り出されるのです。

ハッキリ言って、アメノウズメのストリップショーが天変地異を解決するってのです。クソコラグランプリはこのアメノウズメのストリップショーと同義です。不幸なときほどに、くだらないことをして解決をする。だって、沈んだってしょうがないじゃないですか。むしろくだらない程に価値がある、のかもしれません。だって怒っている神を鎮めるくらいにくだらないことをするべきなんですから。

日本人にとっての命の意味

もう一つの大事なポイントは…命
日本人にとって命とは個人のものです。日本人からすれば、これは当たり前ですが、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の人にとっては違います。人間は神が作ったものであり、その命は神のものです。よって人間の勝手な考えで命を絶ってはいけません。アメリカで「中絶」や「安楽死」が根強く反対されるのはこれが理由です。それに対して日本人は命を個人の自由にしていいと思っているから、外国に比べると自殺率が高いのです。

つまり日本人は湯川さんや後藤さんが危険地帯に行ったことは個人の意思であり、自分の命をどうしようと、個人の自由であり自己責任であるという考えを持っているのです。

以上の日本人の「罪の考え方」と「事件への対応方法」と「個人の命の意味」という独特な思想によってクソコラグランプリということが出来るのです。まぁ、クソコラグランプリをやってる当人はまさかこんなネットや外国の新聞で取り上げられるとは思っていないのですけどね。すんごい軽い気持ちでやってるんです。居酒屋で知り合いと酒飲んで話してる感覚の延長ですよ。でも、そこがテロの意味を軽く見せる理由なわけで、むしろ良い点なんでしょうね。
●日本人の中にはクソコラグランプリを「不謹慎」と批判をする人もいます。彼らは「欧米的」なのかというと、それもちょっと違います。彼らのロジックの根本は「怨霊」です。日本人は「命は個人のもの」という考えを持ちつつ、これを保管するような、「怨霊」という考えを持っています。この怨霊の考えは個人の命(というよりは意思)の「社会共有」という性質があります。
●怨霊で有名なのが菅原道真です。藤原氏に貶められ左遷先で死んだ後、藤原氏が不審な死をとげます。日本人はこの不審死を祟りとし、菅原道真の「意思」としました。キリスト教などとは違うロジックで「個人の命(意思)」を尊重しているわけです。
●日本人は怨霊を嫌います。だから怨霊が発生するような事態を嫌います。日本人の中で「身代金を払え」と言っている人はこの日本人被害者の怨霊への恐怖が根本です。
●日本の命に対するロジックは以上の「個人が持つ命」と「怨霊という社会的な命(意思)」によってバランスが取られています。
●そもそもコーランを焼いた韓国とイスラム教徒を弾圧する中国を批判しないISISを「政治的な集団」と見るのは無理がある。この事件を政治的な問題にしないで、クソコラグランプリで対応するのはマジで正しいんじゃないかと。
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