阿利那禮河が逆流し、石が登って北辰になる

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神功皇后(十一)阿利那禮河が逆流し、石が登って北辰になる

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原文

則重誓之曰「非東日更出西、且除阿利那禮河返以之逆流及河石昇爲星辰而殊闕春秋之朝、怠廢梳鞭之貢、天神地祇共討焉。」時或曰「欲誅新羅王。」於是、皇后曰「初承神教、將授金銀之国。又號令三軍曰、勿殺自服。今既獲財国、亦人自降服。殺之不祥。」乃解其縛爲飼部。遂入其国中、封重寶府庫、收圖籍文書。卽以皇后所杖矛、樹於新羅王門、爲後葉之印、故其矛今猶樹于新羅王之門也。

現代語訳

(新羅の王が)重ねて誓って言いました。
「東から登る太陽が、西から昇ることは無い。阿利那禮河(アリナレガワ=川の名前?)が逆に流れて、川の石が(川を)登って、星辰(アマツカミホシ=北極星)となることは有り得ないのと同じで、春秋の朝を欠き怠って、梳(クシ)と鞭(ムチ)の貢物を止めてしまえば、天神地祇(アマツカミクニツカミ)は一緒になって(わたしたちを)討つだろう」

そのときに、ある人は言いました。
「新羅の王(コキシ)を誅殺しよう」
皇后は言いました。
「まず神の教えを受けて、金銀(コガネシロカネ)の国を手に入れることになった。三軍(ミタムラノイクサ)に号令して私は言った。『自ら服従するものは殺すな』と。今、既に財(タカラ)の国を得た。(新羅の)人は自ら降伏した。殺す理由がない」
それで、その縛(ユワイツナ=縛っている綱)を解いて飼部(ミマカイ=馬飼)としました。
(皇后は)その国の中に入り、重宝(タカラ)の府庫(クラ)を確保し、図籍文書(シルシノフミ=地図と戸籍の文書)を手に入れました。皇后は矛を新羅の王の門に立てて、後葉(ノチノヨ=後の世)の印としました。
その矛は今もなお、新羅王の門に立っています。
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解説

矛を立てる
矛を立てることで「支配」を誇示するという行動は、出雲の国譲りでタケミカヅチが剣を突き刺してその上に座ったというのとよく似ています。

春秋の朝を欠き怠って
春秋の朝を欠く、とはどう意味でしょうか? わたしは「日本の暦は、春秋を持って年紀とする」という魏志倭人伝の記述に関係があると考えています。
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