五色の絹と角弓と鉄材

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神功皇后(三十)五色の絹と角弓と鉄材

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現代語訳

斯摩宿禰(シマノスクネ)は傔人(シタガエルヒト=従者)の爾波移(ニハヤ)と卓淳人(トクジュンノヒト)の過古(ワコ)の二人を百済国(クダラノクニ)に派遣して、その王を慰労(ネギラウ)しました。その時に百済の肖古王(ショウコオウ)は深く喜んで、厚遇しました。それで5色の模様の絹をそれぞれ一つ、角弓箭(ツノノユミヤ=角でできた弓)、鐵鋌(ネリカヨ=鉄材)を合わせて40枚を爾波移(ニハヤ)に与えました。
そしてまた、宝の蔵を開いて、もろもろの珍異(モノメズラシイ)なものを見せて言いました。
「我が国にたくさんのこのような珍宝(タカラモノ)があります。貴国(カシコキクニ=日本)に貢(タテマツ)ろうと思っているのですが、道がわかりません。志があっても、叶いません。しかし、今、使者に授けて、献上いたしましょう」
爾波移(ニハヤ)はその仕事を受けて帰り、志摩宿禰(シマノスクネ)に報告しました。そして卓淳から帰ってきました。
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性格・能力

卓淳に斯摩宿禰(シマノスクネ)がやってきたのが前のページの「神功皇后(二十九)久氐(クテイ)・彌州流(ミツル)・莫古(マクコ)」。その卓淳の王の話によると、卓淳には以前、百済から使者がやってきていて、『是非、日本と国交を結びたい!と思っているけど、道が分かんないから無理』って言ってたよ、と言われて、このページで斯摩宿禰(シマノスクネ)の部下の爾波移(ニハヤ)と卓淳人(トクジュンノヒト)の過古(ワコ)を百済に派遣したんですね。

百済に行くと二人を歓待して、いくつかの物品を献上され、それだけでなく、蔵の中の珍しいものも献上しますよ! と言われちゃって、あぁ、すごいなぁ、というところまで。

献上品について
絹織物と角の弓と鉄材を献上されています。絹は蚕から作るもので、この時、初めて日本に絹織物が伝わった、かというとそういうことはなく、弥生時代の遺跡から絹が発掘されていることから、百済が単に献上した、というだけかもしれない。ただ、弥生時代の絹の品質は低く、中国と接している百済には、日本より高品質の絹があって、それが伝わったということかもしれない。

次は角弓。日本では弓は「木」で作る。これは日本の世界観では「動物」は神の使いであり、動物の屍体は穢れていると考えているため。動物の屍体から取れるものでは工芸ができないという風習の事情がある。そこで角で作った弓は珍しいものだった。新羅を征伐したときも、献上されたものが「馬の毛で作ったハケ」と「ムチ」だったことを考えても、日本にとって角製の弓は貴重だったはず。ただ、穢れている物品を日本人が使えたかどうかは疑問。

次は鉄。
魏志倭人伝には朝鮮半島からは鉄が取れていて、その鉄を倭人・漢人(=中国人)・韓人(=朝鮮人)が採取していたと書かれているので、朝鮮半島は鉄の大生産地だった。それは現代でもそう。それに対して日本では鉄があまり取れない。日本はそのために砂鉄から鉄器具をつくる「たたら」が発達した。タタラは砂鉄から鉄を取り出して、熱して叩いて不純物を出して締める製法。だから硬い。しかし朝鮮半島は鋳型だった。鋳型は柔らかい。朝鮮の歴史書の三国史記を見ると倭人は朝鮮に何度も進出して、連戦連勝している。これは鉄製品の作り方が違うのもあるかと思われます。
それでも、日本は鉄不足だった。砂鉄では幾らなんでも厳しい。朝鮮からの輸入が必要。それがこの献上品に反映されているのではないか?と思います。
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原文

爰斯摩宿禰、卽以傔人爾波移與卓淳人過古二人、遣于百濟国、慰勞其王。時、百濟肖古王、深之歡喜而厚遇焉、仍以五色綵絹各一匹・及角弓箭・幷鐵鋌卌枚、幣爾波移、便復開寶藏、以示諸珍異曰「吾国多有是珍寶、欲貢貴国、不知道路、有志無從。然猶今付使者、尋貢獻耳。」於是爾波移、奉事而還告志摩宿禰。便自卓淳還之也。
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