誰を百済に派遣し虚実を調べよう

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神功皇后(三十二)誰を百済に派遣し虚実を調べよう

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現代語訳

皇太后と譽田別尊(ホムタワケノミコト)は新羅の使者を責めました。それで天神(アマツカミ)に祈って言いました。
「誰を百済に派遣したて、事の虚実を調べよう? 誰を新羅に派遣して、その罪を問うべきか?」
天神は教えて言いました。
「武内宿禰(タケノウチノスクネ)に議(ハカリゴト=作戦立案)を行わせろ。それで千熊長彦(チクマナガヒコ)を使者とすれば願いのようになる」
千熊長彦(チクマナガヒコ)分明(ワキワキ=明らかに)に姓(カバネ)がわからない人です。

ある伝によると、武蔵国の人です。現在は額田部槻本首(ヌカタベノツキモトノオビト)たちの始祖です。
百済記に職麻那々加比跪(チクマナナガヒコ)というのが、これか?

千熊長彦を新羅に派遣して(新羅を)責めると、百済の献物(タテマツリモノ)を濫(ケガシミダス=穢し乱す)したということが分かりました。
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解説

百済記
神功皇后が天神に問うと「武内宿禰に作戦を練らせて、千熊長彦を派遣すればいいよ」と言われたので、その通りにしました。千熊長彦が新羅に行くと、問い詰めるとゲロっちゃいました。それで千熊長彦は「百済記」の職麻那々加比跪(チクマナナガヒコ)のことだよー。というところです。

それで「百済記」ってのは何だろうか? ということになります。それで百済記ってのは何かというと、よく分からないです。

百済記の引用は日本書紀には他にもあります。その記述が日本書紀と矛盾する内容もあることから、百済記は決して日本が創作したものではなく、実際にあったもの、と考えるべきです。

それで百済記は朝鮮の歴史書の「三国史記」なのかというと、それも分かりません。百済記を三国史記が参考しているというのは「推測」ですが、本当に参考にしているかは、かなり怪しいです。なにせ「百済記」という言葉が日本書紀にしか出ていないからです。それに日本書紀にある記述と三国史記の記述が対応していないのです。日本書紀には百済記・百済新撰・百済本記の三つの本から引用が26ありますが、これらの記述と三国史記に対応しているのは1のみ。

ということは三国史記と日本書紀の引用は同じ資料から作られた本ではないということです。
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原文

時、皇太后・譽田別尊、責新羅使者、因以、祈天神曰「當遣誰人於百濟、將檢事之虛實。當遣誰人於新羅、將推問其罪。」便天神誨之曰「令武內宿禰行議。因以千熊長彥爲使者、當如所願。」千熊長彥者、分明不知其姓人。一云「武藏國人、今是額田部槻本首等之始祖也。」百濟記云「職麻那々加比跪」者、蓋是歟也。於是、遣千熊長彥于新羅、責以濫百濟之獻物。
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