磯城川での探湯

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応神天皇(六)磯城川での探湯

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現代語訳

武内宿禰は独り、大いに悲しみ、密かに筑紫を出て、浮海(フネ)で南海(ミナミノミチ=南海道=四国→紀伊半島)を廻って、紀水門(キノミナト)に泊まりました。わずかな時間ですが朝(ミカド)に会うことができて、すぐに罪の無いことを弁明しました。天皇は武内宿禰と甘美内宿禰(ウマシウチノスクネ)とを責め問いました。二人はそれぞれ抗弁して争いました。是非を定めるのは難しかったのです。そこて天皇は勅(ミコトノリ)して神祇に頼んで探湯(クカタチ=湯に手を入れて火傷したら有罪という呪術裁判)をしました。武内宿禰と甘美内宿禰の二人を磯城川(シキノカワ)のほとりに出て探湯(クカタチ)をしました。それで武内宿禰が勝ちました。それで横刀を取り、甘美内宿禰を打ち倒して殺そうとしました。天皇は勅(ミコトノリ)して許しました。甘美内宿禰は紀直(キノアタイ)などの祖先に与えて奴隷にしました。
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解説

武内宿禰と甘美内宿禰の決着
探湯(クガタチ)です。誓約の一種です。まず自分の主張をさせ、手を湯に突っ込む。嘘なら火傷するという、実に古代的な手法。しかし、後ろ暗い人間は躊躇してしまうので、そのうちにお湯の温度が上がり、火傷しやすくなる。また、サッと手を突っ込めば火傷はしにくいのも事実。バカには出来ない。
ちなみに日本書紀の允恭天皇のところでは「泥を釜に入れて煮沸して、泥を探る」と書かれているので、「泥」を取り出さないといけないってことです。
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原文

時武內宿禰、獨大悲之、竊避筑紫浮海以從南海
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