道の後 古波陀乙女

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応神天皇(八)道の後 古波陀乙女

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現代語訳

(即位13年)秋9月。髪長媛(カミナガヒメ)は日向(ヒムカ)から来ました。桑津邑(クワツノムラ=摂津国住吉郡桑津村=現在の大阪市東住吉区桑津町)に安置(ハベ=侍る=居住させる)らせました。そこで皇子の大鷦鷯尊(オオサザキノミコト=仁徳天皇)が髪長媛を見ました。するとその姿形の美麗さに感動して、恋心を持ってしまいました。応神天皇は大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)が髪長媛に情があると知って、会わせたいと思いました。それで天皇は後宮で宴会をするときに、初めて髪長媛を呼び寄せて、宴会の席に座らせました。大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)も呼び寄せ、髪長媛を指差して歌を歌いました。

いざ吾君(アギ)
野に蒜(ヒル)摘みに 蒜(ヒル)摘みに
我が行く道に 香ぐはし 花橘(ハナタチバナ)
下枝(シズエ)らは 人(ヒト)皆(ミナ)取り
上枝(ホツエ)は 鳥居(トリイ)枯らし
三栗(ミツグリ)の 中枝(ナカツエ)の ふほごもり
赤(アカ)れる乙女(オトメ)
いざさかばえな

歌の訳さぁ我が君よ。野に蒜(ヒル=ニラの仲間)を摘みに行きましょう。野に蒜を摘みに行きましょう。わたしが行く道には芳しい橘華が咲いています。その下枝の花は人が全部取ってしまいました。上の枝は取りが散らしてしまいました。中枝には、ふっくらとした赤い乙女がいます。さぁ、花開くかな
(三栗は中にかかる枕詞)

大鷦鷯尊は歌を聴いて、髪長媛を与えられることがわかり、とても喜んで報歌(カエシウタ)を歌いました。

水溜まる 依網池(ヨサミノイケ)に
蓴(ヌナハ)繰(ク)り 延(ハ)へけく知らに
堰杭(ヌグイ)築(ツ)く 川俣江(カワマタエ)の
菱茎(ヒシガラ)の さしけく知らに
我が心し いや愚(ウコ)にして

歌の訳水が溜まった依網池(ヨサミノイケ)に蓴菜(ジュンサイ=食べられる水草)を取ろうと手を伸ばしていると知らないで、護岸の杭が打たれた川俣の菱茎(=同様に食べられる水草)が遠くへと伸びていることも知らないで、わたしは全く愚かなことです。

大鷦鷯尊は髪長姫と、すぐに交わり慇懃(ネンゴ)ろとなrました。(二人きりのときに)髪長媛に向かって歌いました。
道の後(シリ) 古波陀乙女(コハダオトメ)を
神の如(ゴト) 聞えしかど
相枕(アイマクラ)枕(マ)く 

歌の訳道の果てにあるという遠い国の古波陀(コハダ)の乙女は神のごとく美しいと聞いていた。今、枕を共にしているなぁ

また読んだ歌が
道の後(シリ) 古波陀乙女(コハダオトメ)
争(アラソ)はず 寝しくをしぞ
愛(ウルワ)しみ思(モ)ふ

歌の訳道の果てにあるという遠い国の古波陀(コハダ)の乙女が、争わず(=抵抗せず)、寝てくれたことで、愛おしく思うなぁ

古事記の対応箇所
応神天皇は豊明節会でカミナガヒメをオオサザキ命に与えた
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原文

秋九月中、髮長媛、至自日向、便安置於桑津邑。爰皇子大鷦鷯尊、及見髮長媛、感其形之美麗、常有戀情。於是天皇、知大鷦鷯尊感髮長媛而欲配。是以、天皇宴于後宮之日、始喚髮長媛、因以、上坐於宴席、時撝大鷦鷯尊、以指髮長媛、乃歌之曰、

伊奘阿藝 怒珥比蘆菟湄珥 比蘆菟瀰珥 和餓喩區瀰智珥 伽遇破志 波那多智麼那 辭豆曳羅波 比等未那等利 保菟曳波 等利委餓羅辭 瀰菟遇利能 那伽菟曳能 府保語茂利 阿伽例蘆塢等咩 伊奘佐伽麼曳那

於是、大鷦鷯尊、蒙御歌、便知得賜髮長媛而大悅之、報歌曰、

瀰豆多摩蘆 豫佐瀰能伊戒珥 奴那波區利 破陪鶏區辭羅珥 委遇比菟區 伽破摩多曳能 比辭餓羅能 佐辭鶏區辭羅珥 阿餓許居呂辭 伊夜于古珥辭氐

大鷦鷯尊、與髮長媛既得交慇懃、獨對髮長媛歌之曰、

彌知能之利 古破儾塢等綿塢 伽未能語等 枳虛曳之介逎 阿比摩區羅摩區

又歌之曰、

瀰知能之利 古波儾塢等綿 阿羅素破儒 泥辭區塢之敘 于蘆波辭彌茂布
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