襲津彥と弓月の民の帰国

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応神天皇(十二)襲津彦と弓月の民の帰国

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現代語訳

即位16年春2月。王仁(ワニ)が来日しました。太子の菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)の師としました。諸々の典籍(フミ)を王仁に習いました。一通り、理解できないということはありませんでした。いわゆる王仁は書首(フミノオビト)たちの始祖です。

この年、百済の阿花(あくゑ)王が亡くなりました。天皇は直支王(トキオウ)を呼び寄せて言いました。
「お前は国に帰って王位を継げ」
それで東韓(トウカン)の土地を与えて派遣しました。
東韓は甘羅城(カムラノサシ)・高難城(コウナンノサシ)・爾林城(ニリムノサシ)です。

8月。平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)・的戸田宿禰(イクハノトダノスクネ)を加羅に派遣しました。それで精鋭の兵を授けて、詔(ミコトノリ)しました。
「襲津彦(ソツヒコ)は久しく帰ってきていない。間違いなく新羅が邪魔して帰ってこれないのだろう。おまえたち、速やかに行って新羅を打ち、道を開きなさい」
それで木菟宿禰(ツクノスクネ)たちは精鋭の兵を進めて新羅との境界で相対しました。新羅の王は恐ろしくなってその罪に服しました。すぐに弓月(ユヅキ)の人夫(タミ)を率いて襲津彦(ソツヒコ)と共に来日しました。
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解説

弓月(ユヅキ)は「応神天皇(十)弓月君は人夫を加羅国に残して来た」で日本に帰化した人物。襲津彦(ソツヒコ)は神功皇后時代からの対新羅外交の専門家。葛城襲津彦と書いてあることから神功皇后の親族か関係者と思われます。「応神天皇(十)弓月君は人夫を加羅国に残して来た」で新羅に入ったまま3年も帰ってきていません。

それでこの年、ついに平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)・的戸田宿禰(イクハノトダノスクネ)を加羅に派遣して弓月の民と襲津彦が帰ってくるということになったわけです。
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原文

十六年春二月、王仁來之。則太子菟道稚郎子、師之、習諸典籍於王仁、莫不通達。所謂王仁者、是書首等之始祖也。是歲、百濟阿花王薨。天皇、召直支王謂之曰「汝返於国、以嗣位。」仍且賜東韓之地而遣之。東韓者、甘羅城・高難城・爾林城是也。八月、遣平群木菟宿禰・的戸田宿禰於加羅、仍授精兵詔之曰「襲津彦久之不還、必由新羅之拒而滯之。汝等急往之擊新羅、披其道路。」於是木菟宿禰等、進精兵、莅于新羅之境。新羅王、愕之服其罪。乃率弓月之人夫、與襲津彦共來焉。
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