兄媛は父母を思い嘆く

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応神天皇(十五)兄媛は父母を思い嘆く

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原文

廿二年春三月甲申朔戊子、天皇幸難波、居於大隅宮。丁酉、登高臺而遠望、時妃兄媛侍之、望西以大歎。兄媛者、吉備臣祖御友別之妹也。於是、天皇問兄媛曰「何爾歎之甚也。」對曰「近日、妾有戀父母之情。便因西望而自歎矣。冀暫還之得省親歟。」爰天皇愛兄媛篤温凊之情、則謂之曰「爾不視二親、既經多年。還欲定省、於理灼然。」則聽之、仍喚淡路御原之海人八十人爲水手、送于吉備。夏四月、兄媛自大津發船而往之。天皇居高臺、望兄媛之船以歌曰、

阿波旎辭摩 異椰敷多那羅弭 阿豆枳辭摩 異椰敷多那羅弭 豫呂辭枳辭摩之魔 儾伽多佐例阿羅智之 吉備那流伊慕塢 阿比瀰菟流慕能
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現代語訳

即位22年春3月5日。天皇は難波に行き、大隈宮(オオスミノミヤ)に居ました。14日に高台(タカドノ)に登って、遥か遠くを望みました。その時、妃の兄媛(エヒメ)が居ました。西の方を望んで大変嘆きました。
兄媛(エヒメ)は吉備臣(キビノオミ)の祖先の御友別(ミトモワケ)の妹です。

天皇は兄媛に問いました。
「何にそんなに嘆いているのか?」
答えて言いました。
「近年、妾(ヤッコ=自分のこと)は父母(カゾイロハ)を恋しく思う心があります。それで(父母の居る故郷の吉備のある)西の方を望み見ると、自然と嘆いてしまうのです。願わくはしばらく(実家に)帰って、親孝行できないでしょうか?」
天皇は兄媛が親を思う気持ちが強いことを嬉しく思い、言いました。
「その二人の親を見ないで、すでのたくさんの年を取ってしまった。帰って孝行したいと思うのは、道理にかなっている」
すぐに願いを聞き入れました。淡路の御原(ミハラ)の海人(アマ)80人を呼び寄せて水手(カコ)として吉備に送りました。
夏4月。兄媛は大津(オオツ=難波の港?)から出発して行きました。天皇は高台(タカドノ)に居て、兄媛の船を望み見て歌を歌いました。
淡路島(アワジシマ) いや二並(フタナラ)び
小豆島(アズキジマ) いや二並(フタナラ)び
寄(ヨ)ろしき島々(シマシマ)
誰(ダ)かた去れ放(アラ)ちし
吉備(キビ)なる妹(イモ)を
相見(アイミ)つめもの

歌の訳淡路島は二つ並びだ。小豆島は二つ並びだ。立ち寄りたい島々は二つ並びになっているというのに、私の相手は誰が去らせたのか?(わたしは一人になってしまった) 吉備の妹(=愛しい人)は愛し合っていたというのに
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