兄媛の兄の御友別の子孫と兄弟を吉備国に封じる

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応神天皇(十六)兄媛の兄の御友別の子孫と兄弟を吉備国に封じる

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原文

秋九月辛巳朔丙戌、天皇狩于淡路嶋。是嶋者横海、在難波之西、峯巖紛錯、陵谷相續、芳草薈蔚、長瀾潺湲。亦麋鹿・鳧・鴈、多在其嶋、故乘輿屢遊之。天皇便自淡路轉、以幸吉備、遊于小豆嶋。庚寅、亦移居於葉田(葉田、此云簸娜)葦守宮、時御友別參赴之、則以其兄弟子孫爲膳夫而奉饗焉。天皇於是、看御友別謹惶侍奉之狀而有悅情、因以割吉備国封其子等也。則分川嶋縣封長子稻速別、是下道臣之始祖也。次以上道縣封中子仲彦、是上道臣・香屋臣之始祖也。次以三野縣封弟彦、是三野臣之始祖也。復以波區藝縣封御友別弟鴨別、是笠臣之始祖也。卽以苑縣封兄浦凝別、是苑臣之始祖也。卽以織部賜兄媛、是以、其子孫於今在于吉備国、是其緣也。
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現代語訳

(即位22年)秋9月6日。天皇は淡路島で狩りをしました。この島は海に横たわっていて、難波の西にあります。峯(タケ)は厳しく、ゴチャゴチャとして丘や谷が続いていました。草がよく茂っていて高い波が流れていました。大鹿、鴨、雁がその島にはいました。それで乗輿(スメラミコト=天皇の乗り物)でしばしば遊びに行っていました。天皇は淡路から巡って吉備に行き、小豆島(アズキシマ)で遊びました。10日にはまた葉田(ハダ=備中国賀夜郡服部郷=現在の岡山県総社市東部)の葦守宮(アシモリノミヤ)に移りました。
葉田は簸娜(ハダ)といいます。

そのときに御友別(ミトモワケ=妃の兄媛【エヒメ】の兄)が参りました。その兄弟子孫を膳夫(カシワデ)8
として食事を奉りました。天皇は御友別(ミトモワケ)が謹惶(カシコマリ)して仕え奉った様子を見て、喜びました。それで吉備国(キビノクニ)を割いて、その子供たちに封じました(=国を与えた)。川嶋県(カワシマノアガタ=備中国朝口=現在の岡山県朝口郡・玉島市)を分けて、長子の稻速別(イナハヤワケ)に封じました。下道臣(シモツミチノオミ)の始祖です。次に上道県(カミツミチノアガタ)を中子(ナカツコ=次男)の仲彦(ナカツヒコ)に封じました。上道臣(カミツミチノオミ)・香屋臣(カヤノオミ)の始祖です。次に三野県(ミノノアガタ=備前国御野郡御野郷=現在の岡山県北半分・旭川以西)を弟彦(オトヒコ)に封じました。三野臣(ミノノミ)の始祖です。また、波区芸県(ハクギノアガタ=未詳=広島県比婆郡か岡山県笠岡市か?)を御友別(ミトモワケ)の弟の鴨別(カモノワケ)に封じました。笠臣(カサノオミ)の始祖です。苑県(ソノアガタ=備中国下道郡曾能郷=現在の岡山県吉備郡真備町)を兄の浦凝別(ウラコリワケ)に封じました。苑臣(ソノノオミ)の始祖です。織部(ハトリベ)を兄媛に与えました。その子孫(ウミノコ)は今の吉備国にいます。これはその由縁です。
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