高麗の王は日本国に教える、でブチ切れる

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応神天皇(十八)高麗の王は日本国に教える、でブチ切れる

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原文

廿八年秋九月、高麗王遣使朝貢、因以上表。其表曰「高麗王、教日本国也。」時太子菟道稚郎子讀其表、怒之責高麗之使、以表狀無禮、則破其表。

現代語訳

即位28年秋9月。高麗(コマ)の王が使者を派遣して朝貢しました。それで文を伝えました。
「高麗の王は日本国に教える」
太子の菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)はその文を読んで、怒り、高麗の使者を責め、文の内容の無礼なことをもって、その文を破りました。

解説

菟道稚郎子
菟道稚郎子は応神天皇の息子で、大鷦鷯天皇(オオサザキノスメラミコト=仁徳天皇)とな異母兄弟にあたります。菟道稚郎子は「応神天皇(十一)阿直伎と王仁」で阿直伎と王仁という百済人家庭教師から「文の読み方」を教えられています。
高麗の言う「教える」
「高麗王、教日本国也」という高麗王の傲慢な文章にブチ切れたという「物語」なのですが、その前に「高麗が朝貢した」とあるので、どうもシックリ来ない。これって、聖徳太子の時に日本がやった「日出ずる処の天子が…」というのと同じことなのかも。

もしくは漢文の読み方を習ったばかりの菟道稚郎子が中途半端な知識で「そういう意味じゃない」のに勘違いしてブチ切れたという話なんじゃないかなぁ、とも思ってます。
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