新齊都媛は7人の婦女を率いて来帰

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応神天皇(二十二)新齊都媛は7人の婦女を率いて来帰

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現代語訳

即位39年春2月に百済の直支王(トキオウ)はその妹の新齊都媛(シセツヒメ)を派遣して(日本に)仕えさせました。新齊都媛(シセツヒメ)は7人の婦女を率いて来帰(マウケ)しました。
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解説

直支王(トキオウ)は応神天皇が命じて百済の王になった人物ですが即位25年の「応神天皇(十七)木羅斤資を天朝が呼び寄せる」で死んでいるハズなのです。それが即位39年のこのページで突然、再登場。これは単に「死んだ前王の妹が日本に帰化した」という意味なのか、勘違いか、写し間違いか。

中国の歴史書「宋書」には「元嘉7年(430年)に「余(徐)毗(毗有王)に余映(徐映)(腆支王)の爵号の継承を許した」という記述があることから、もしかすると百済20代王の「毗有王」と百済18代王の「腆支王(=日本書紀での直支王)」が「同一の名前」を持っていたか、そういう認識があったのかもしれないです。それでこのページのような記述になったのではないかと。
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原文

卅九年春二月、百濟直支王、遣其妹新齊都媛以令仕。爰新齊都媛、率七婦女而來歸焉。
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