木国で綱柏を採りに行ったので浮気

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木国で綱柏を採りに行ったので浮気

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読み下し文

此より後の時に、大后、將に豊樂爲んとして御綱柏を採りに木の国に幸行しし間に、天皇、八田の若郎女に婚いき。 ここに大后、御綱柏を御船に積み盈てて還り幸す時に、水取の司に驅い使わゆる吉備の国の兒嶋の郡の仕丁、是、己が国に退るに、難波の大渡に後れたる倉人女の船に遇いき。 乃ち語りて云いしく「天皇は此日八田の若郎女に婚いて、晝夜戲れ遊ぶ。若し大后は此の事を聞こし看さぬか。 靜かに遊び幸行す」。 爾くして其の倉人女、此の語る言を聞きて即ち御船に追い近づきて白す状は具に仕丁の言の如し。
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現代語訳

これより後にのことです。大后が豊楽(トヨノアカリ=新嘗祭という収穫祭の後に行われる酒宴)をしようとして、御綱柏(ミツナガシワ=植物名=カクレミノの葉か?)を採りに木国(キノクニ=紀伊国)に行ったときに、仁徳天皇は八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)とまぐわいました。大后が御綱柏(ミツナガシワ)を船にいっぱいに積んで帰るとき時のことです。水取司(モイトリノツカサ=飲料水の担当部署)に仕える吉備国の児島郡(コジマノコオリ=現在の岡山県児島半島)の仕丁(ヨホロ=役所の使用人)が自分の国へ帰るときに、難波の大渡(=港)に遅れてきた倉人女(クラヒトメ=倉の部署の使用人の女)の船に出会いました。それで語って言いました。
「天皇はこの頃、八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)とまぐわって、昼も夜も戯れて遊んでいる。もし、大后がこの事を聞かれたら大変なことになるので、靜かに遊んでおられる」
それでこの倉人女はこの言ったことを聞きてすぐに御船(ミフネ=天皇・大后の船)に追いついて近づいて、仕丁が言った通りに事細かく伝えました。
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解説

仁徳天皇はやるなぁ
使用人の伝言ゲームで浮気がバレるというお話。
ほのぼのしていて好きです。

八田若郎女は応神天皇と和爾氏(和珥氏)の日触使主(ヒフレノオミ)の娘の宮主宅媛(ミヤヌシヤカヒメ)の間にできた皇女。つまり、仁徳天皇から見ると異母妹となります。兄と妹の禁じられた恋――ではなく、当時は腹違いの兄妹は結婚OKなので、別に禁じられていません。

前のページで「黒日売への嫉妬は葛城氏族と吉備海人氏族の権力争いを物語にしたものではないか?」と書きました。ということは、八田若郎女への大后の嫉妬の物語も似たような経緯ではないかな?と思います。八田若郎女は和爾氏の出身であり、和爾氏と葛城氏との間に権力争いがあった、と考えるべきではないか?と。

でも、和爾氏はヤマトの出身で紀伊国ではないんですよね。そこいら辺には別の事情があるのかもしれませんが、そもそも和爾氏と葛城氏の権力争いというのが見当違いなのかもしれません。なんとも言えませんね。
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