大楯連の妻の玉釧

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大楯連の妻の玉釧

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読み下し文

此の時の後に、將に豊樂を爲んとする時に、氏氏の女等、皆朝參りしき。 爾くして、大楯の連が妻、其の王の玉釧を以ちて、己が手に纏きて參い赴きき。 ここに、大后、石の日賣の命、自ら大御酒の柏を取りて、諸の氏氏の女等に賜いき。 爾くして大后、其の玉釧を見知りて、御酒の柏を賜わずして、乃ち引き退けき。 其の夫、大楯の連を召し出し、以ちて詔らさく、「其の王等、禮无きに因りて退け賜いつ。 是は異しき事無けくのみ。 夫の奴や、己が君の御手に纏ける玉釧を膚もけきに剥ぎ持ち來て、即ち己が妻に與えつ。」 乃ち死刑を給いき。
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現代語訳

梯立ての 倉椅山を 嶮しみとを参照)その後のことです。豊楽(トヨノアカリ=宮中の酒宴)を開くということで各氏族の女達が皆、朝廷に参上しました。それで大楯連(オオタテノムラジ)の妻がその王(=ここでは女鳥王のこと)の玉釧(タマクシロ=玉でできた釧)を自分の手に巻いて参上しました。大后の石之日売命(イワノヒメノミコト)が自ら大御酒(オオミキ)を注いだ柏の葉を取って、諸々の各氏族の女達に振舞いました。大后はその玉釧を見知って、御酒(ミケ)を注いだ柏の葉を与えずに、すぐに退席させました。そしてその夫の大楯連を呼び出して言いました。
「その王たち。無礼によって退席させた。怪しむようなことではない(当然のことだ)。夫の奴(ヤッコ)め。自分の主君の手に巻いた玉釧を肌の温もりがあるうちに剥ぎ取って持って帰って、自分の妻に与えたのだ」
それで死刑にしました。
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解説

おそるべき大后
ここまでの話だと天皇はただ浮気性。振られた腹いせに殺しちゃうし、なんかカッコ悪い。妻の大后は嫉妬深くて、その上細かい。大后の発言にも「詔」という言葉が使われていることから、大后は天皇級の権力を持っていたということ、なんでしょうか。

また「木国で綱柏を採りに行ったので浮気」「綱柏を捨てて山代から奈良を通り葛城へ」でも「儀式」の「豊楽」が物語の中に取り入れられています。史実というよりは何かの伝承を仁徳天皇の物語の中に組み込んだと考えるべきかなぁ、と。
話の元ネタは?
大楯連という名前から察するに「軍部」の人間でしょう。彼がかつての主君である「女鳥王」の屍体から釧を盗み、妻に与えた。その腕輪に見覚えがある大后はこの夫婦の無礼を責め、死刑にした。

これは「儒教」的な話にも見えます。「礼」というのは儒教では大事なポイントですから。しかし、大后の行動といい、「詔」という言葉といい、「女性」が主体的な活躍をしています。儒教は「超男尊女卑」の思想ですから女性が主体的に行動する物語はおかしいのです。

この大楯連の夫婦と大后の物語は、もともと「屍体から持ち物を盗んだ人物を罰する」という物語が、儒教の影響を受け、その上で仁徳天皇の物語に組み込まれた結果ではないかな、と思います。屍体には穢れがあり、その穢れを日本人はとても嫌っていました。元々はその神罰の物語だったんでしょう。また日本は本来「女系」です。女が偉く、女ボスの氏族は幾つか見られます。それが大后が罰を与えるという話に残ったのではないかと思います。
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