大坂に 遭ふや乙女を 道問へば

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大坂に 遭ふや乙女を 道問へば

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読み下し文

故、大坂の山口に到り幸しし時に、一の女人に遇いき。 其の女人の白さく、「兵を持てる人等、多た茲の山を塞げり。 當岐麻道より迴りて越え幸すべし」。 爾くして、天皇、歌いて曰く、
淤富佐迦邇 阿布夜袁登賣袁 美知斗閇婆 多陀邇波能良受 當藝麻知袁能流
故、上り幸して石上の神の宮に坐しましき。

現代語訳

大阪の山の入り口に到着したときに、一人の女に会いました。その女が言いました。
「兵(ツワモノ=武器)を持った人たちがたくさん、この山を塞いでいます。當岐麻道(タギマジ)を回って越えた方がいいですよ」
天皇は歌を歌いました。
大坂に 遭ふや乙女を 道問へば 直に告(ノ)らず 當岐麻道を 告(ノ)る
歌の訳大阪で会った乙女に道を聞いてみたら、直にたどり着く道を教えてくれずに、當岐麻道(タギマジ)を通る回り道を教えてくれた。

それで(大和へと上って)行って、石上神宮(イソノカミジングウ)に着きました。
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解説

大阪の山口というのは穴虫峠(アナムシトウゲ=大阪府南河内郡太子町春日と奈良県香芝市穴虫の間の峠)のこと。當岐麻道(タギマジ)は穴虫峠と同様に、羽曳野市飛鳥から大和に行く道なんですが、穴虫峠よりも迂回する道。ただし穴虫峠の方がキツイ。

この大坂に 遭ふや乙女を 道問へば 直に告(ノ)らず 當岐麻道を 告(ノ)るという歌は、履中天皇が墨江中津王に襲われて逃げる話で歌われると、なんだか不親切な女がいるという印象を受けますが、元々は、「急がば回れ」を告げる親切な女の歌じゃないかと思うんですよ。穴虫峠はキツイ。単なる距離だと近く見えるけど勾配がキツイからやめて、迂回する當岐麻道(タギマジ)が良いよ、と。そういう歌があった。それを履中天皇の物語に入れた。

ところで履中天皇が弟に襲われる話は史実なのかどうか?なんですが、歌を元にして話を作ったにしては穏やかじゃないし、歌と物語が合っていないので、物語自体は史実なんじゃないか?と思っています。
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