大君を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ

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大君を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ

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読み下し文

故、其の輕の太子は伊余の湯に流しき。また將に流さんとせし時に歌いて曰く、
阿麻登夫 登理母都加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥
此の三つの歌は天田振なり。 また歌いて曰く、
意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙 和賀多多彌由米 許登袁許曾 多多美登伊波米 和賀都麻波由米
此の歌は夷振の片下なり。

現代語訳

軽太子(カルノヒツギノミコ)は伊余湯(イヨノユ=道後温泉)に流されてしまいました。そのまさに流されようとしているときに歌いました。
天飛ぶ 鳥も遣いそ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね
歌の訳天を飛ぶ鳥は私の使いの者です。鶴の声が聞こえた時は私の名前を尋ねてください。

この三つの歌は天田振(アマタブリ)です。
大君を 島に放らば 船余り(フナアマリ) い帰り来むぞ 我が畳斎目(タタミユメ) 言をこそ 畳と言はめ 我が妻は斎目(ユメ)
歌の訳大君を島に放せば(「船余る」は帰るの枕詞・詳細は不明)帰ってくるから、私の畳を汚さないよう。言葉で「畳」と言ったが、ようは妻は汚れないよう(浮気するなよってこと)。

夷振(ヒナブリ)の片下(カタシモ)です。
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解説

天田振(アマタブリ)
三つの歌というのは「天だむ 軽の乙女 甚泣かば 人知りぬべし 波佐の山 鳩の下泣きに泣く」で歌われた
天(アマ)だむ 軽(カル)の乙女(オトメ) 甚(イタ)泣かば 人知りぬべし 波佐の山 鳩の 下(シタ)泣きに泣く
天だむ 軽乙女 したため 寄り寝て通れ 軽乙女ども
とこのページで歌った
天飛ぶ 鳥も遣いそ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね
です。全て「天」から始まっていることが「天田振」という名前の由来かと思われます。

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