安閑天皇の宮と御陵

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安閑天皇の宮と御陵

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書き下し文

御子、廣国押建金日の命、勾の金箸の宮に坐しまして天の下治しめしき。
此の天皇に御子無し【乙卯の年の三月十三日に崩りき】。御陵は河内の古市の高屋の村に在り。

現代語訳

継体天皇の子の廣国押建金日命(ヒロクニオシタケカナイノミコト=安閑天皇)は勾(マガリ)の金箸宮(カナハシノミヤ=奈良県橿原市曲川町…元は金橋村という町名)に居て、天下を治めました。
この安閑天皇には子供はいませんでした。乙卯の年の三月十三日に崩御しました。御陵(ミササギ)は河内の古市の高屋の村)大阪府羽曳野市古市城)にあります。
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解説

安閑天皇・宣化天皇は継体天皇が天皇になる以前に、尾張連の娘との間にできた子供です。一方、欽明天皇は仁賢天皇の娘と継体天皇の間にできた子で、継体天皇自体が応神天皇の5世孫とは言え、傍流中の傍流ですから、倭の中央の氏族から見ると、欽明天皇は「本流」、安閑天皇・宣化天皇は「傍流」です。というか安閑天皇・宣化天皇は本来、天皇になれっこないような人間です。たまたま継体天皇が、後継の無くなって呼ばれただけです。

それで安閑天皇と宣化天皇の記述が少ないのではないか?と思われます。安閑天皇は記述が少ないばかりか、「崩御した年齢」がありません。また「御陵」が「河内の古市の高屋の村」という表現も如何なものかと。

ちなみに宣化天皇の場合は崩御の年れも無く、「御陵」の記述もありません。
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