靖国問題の根本は中国・韓国と日本の風習の違い

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靖国問題の根本は中国・韓国と日本の風習の違い

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概要

まとめ
●儒教では先祖崇拝をするが、先祖以外の霊は祀らない。祀らなくちゃいけない、ということは無い。
●日本は霊は祟ると考えているので全ての霊を鎮魂しないといけない。
●日本人にとって靖国神社の戦没者を鎮魂することで守護神(英霊)となってもらっている、という感覚がある。
●儒教では先祖以外は祀らない。だから靖国の大勢の戦没者(英霊)が目に入らない。
●儒教国から見ると、「靖国神社に戦犯が居る」なら戦犯の神格化だ、となる。
●靖国問題は風習の違いによるもの。
●ちなみに、分祀しても問題は解決せず、悪化する。
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靖国神社とは何か?

靖国神社というのはそもそもは明治維新の時に戦争で死んでいった人たちの霊が祀られているところです。最初は明治維新だけだったのですが、日本がその後、日清・日露戦争・第二次世界大戦と戦争をするたびに、戦没者を祀るようになりました。ちなみに、霊を祀ってますよ、といっても、故人の遺髪があるとか遺品があるとか、そういうことではなく、単に「戦没者を祀ってます」っていう設定なのです。ちなみに靖国神社の地方支社というポジションが「護国神社」です。よく奈良の東大寺に対する「国分寺・国分尼寺」が「護国神社」という言い方をされます。

というわけで靖国神社は明治以降の戦没者をまとめて祀る神社です。日本人の「祖霊信仰」は儒教のそれとは動機が違う、という話の中で、日本人は「霊が祟るのを恐れる」と言ったように、「戦没者の霊は祟る可能性が高い」と日本人は思っています。だからしっかりと祀る必要があるんです。では、日本人にとって「霊」とは何でしょうか?
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日本人と霊、そして祟り

日本人にとって霊とは「見えないもの」です。見えないものすべては霊です。そして見えないものは全て「神」です。つまり「霊」と「神」は同じものです。「カミ」という言葉の語源は「隠り身(カクリミ)」から来ているという説もあるくらいに、神さまってのは見えないのが前提です。日本人は見えない神(霊)を恐れました。何をするか分からないからです。だから死者の霊というのは、どの霊も怖いのです。その中でも未練や恨みを持った霊を恐れます。戦没者というのは、誰だって死にたくて死んだんじゃないのです。だから特に強い霊威があります。よく夏の怪談に「日本兵」が現れるのはそういう日本人の心理があります。

死にたくて死んだんじゃない、というのは戦犯で死刑になった人であっても同じことです。むしろそういう強い影響力のあった人ほど、強い霊威があって、祟る可能性があるくらいに思っています。それに最も強い祟り神とは「無実の罪で殺された人」です。東京裁判は連合国によって行われた一方的な裁判であるというのは、よく指摘されることです。そういう様々な事情を考えても、靖国神社に日本の首相が参拝することは、「そんなに悪い事ではない」と思いますし、「日本の文化・風習」を尊重するのであれば「参拝するのが当然だ」という意見は至極真っ当でしょう。

大体、日本では「祟りを恐れて祀る」という感覚があるといっても、戦没者を鎮魂すること自体は大抵の国でやっていることです。「祟りを恐れて祀る」というのは、いわば「鎮魂の理由付け」です。「鎮魂(レクイエム)」を日本風に言うと「祟りを恐れて祀る」ってことなんですよ、ってだけで同様のことはどこの国でもやっています。

鎮魂と祖霊信仰

例えば911のテロ事件があって、事故があった国際貿易センタービル跡地はグラウンドゼロと呼ばれるようになりました。そのグランドゼロでは犠牲者の鎮魂の儀式が行わました。それと靖国神社参拝は大差ないのです。中韓は日本の首相が靖国神社に参拝することを「戦犯の神格化」と批判するのですが、グラウンドゼロでは当然ながらハイジャックしたテロリストも死んでいるのです。グラウンドゼロでの鎮魂の儀式を持って「テロリストの神格化」と批判する遺族はいたでしょうか? いるわけないんです。では、どうして中韓は靖国参拝を批判するのでしょうか?

ここからがキモです。

儒教では祖霊信仰をすると書きました。そして先祖の霊を祀ることは子孫の義務であると書きました。ひっくり反すと、中国人と韓国人は先祖以外は祀る気は無いってことです。先祖崇拝の肝は先祖と子孫が同一体となり、命を繋いで「永遠の存在」となることにあるので、自分の先祖は祀るが、それ以外には全く興味がありません。中国人・韓国人には日本人のようには死者の霊を祀り鎮魂するという感覚はありません。儒教の教科書というべき「論語」には「先祖以外は祀るべきではない」と書かれています。だから当然ながら、日本人が靖国神社に戦没者を祀るということはピンと来ません。ただ戦没者が祀ってあるだけなら、「理解は出来ないけども」なんとも思わなかったでしょう。ところが靖国神社に戦犯も祀られているとなると、もう戦犯にしか目がいかない。戦犯の神格化だ、となってしまう。

靖国問題の根本は風習の違い

日本人としては戦争に関わって死んだ人を祀っているのです。誰がということではなく、戦争という大きな流れの中で死んでいた「霊」を祀っているのであって、「誰」ということではないのです。戦犯も祀ってありますが、それはどちらかというと「おまけ」なんですよね。だって、戦争で死んでいった戦没者ってのは、大半が普通の人たちなんです。普通の人たちが戦争に行き、死んでいった。私は今日、こうしてのんきに文章を書いてはいますが、時代がほんのちょっと違えば、私が戦争に行って死んだのかもしれないのです。それはこの文章を読んでいる人も同じです。運良く「戦争のない」現代に生まれただけなんです。戦没者を祀るのは、過去を省みつつ現在の幸福を知るために、私たちにとって大事なことです。日本の首相が靖国神社に参拝するのは「過去の戦争に学び、平和を維持する」意思表明なのです。

だから日本人としては、靖国神社の主祭神は戦没者という「英霊」なんです。むしろ「英霊」しか見てないくらいです。ところが中韓は、日本人のような「大勢の戦没者を祀らなくちゃいけない」という感覚がない。理解できないから「戦犯」に目が行ってしまう。なにせ「先祖」しか祀っちゃいけないくらいに考えているんだから、戦犯がいる靖国に参拝するってのは「戦犯」を神格化しようとしているに違いない、となる。
よって靖国問題の根幹は単に「風習」の違いです。
ちなみに日本の靖国参拝を批判する国が中韓以外にもう一つあります。それはシンガポールです。シンガポールは住民の7割が中国系で儒教の影響を強く受けているからです。

さて、おそらく「それなら戦犯だけでも分祀すればいい」という意見を持つ人もいるでしょう。ところが分祀しても、この問題は絶対に解決しませんし、それどころか必ず問題は悪化します。その理由はまた別のページで書くことにします。
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