百姓が貧しくて家に飯を炊く者がいないのではないか?

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仁徳天皇(十)百姓が貧しくて家に飯を炊く者がいないのではないか?

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原文

四年春二月己未朔甲子、詔群臣曰「朕登高臺以遠望之、烟氣不起於域中、以爲、百姓既貧而家無炊者。朕聞、古聖王之世、人々誦詠德之音、毎家有康哉之歌。今朕臨億兆、於茲三年、頌音不聆、炊烟轉踈、卽知、五穀不登、百姓窮乏也。封畿之內、尚有不給者、況乎畿外諸国耶。」

現代語訳

即位4年春2月6日。
群臣(マヘツノキミタチ=部下たち)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕(ワレ)は高台(タカドノ)に登って遥かに望んで見ると、煙が域(クニ=国)の中に立っていない。思うに、百姓がまったく貧しくて家に飯を炊く者がいないのではないか? 朕(ワレ)は聞いた。古(イニシエ)の聖王(ヒジリノキミ)の世では人々は詠德之音(ホムルコエ=王の徳を讃える声)をあげ、各々の家では康哉之歌(ヤスラカナリトイウウタ=平和を讃える歌)があったという。今、朕(ワレ)が億兆(オオミタカラ=百姓=人民)を見渡す立場になって三年になる。頌音(ホムルコエ=天皇を褒める声)は聞こえてこない。飯を炊く煙はわずかしかない。だから分かったのだ。五穀(イツツノタナツモノ=五穀)が実らないで、百姓は困窮しているのだと。封畿之内(ウチツクニ=畿内=都に近い国)ですら、この様子なのだ。いわずもがな、畿外諸国(トツクニグニ=畿内の外の国)では……」
と言いました。
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解説

徳治主義
現在の日本では儒教の影響が薄いので、上記の記述を見て、ある程度は納得できてもピンと来ないところもあります。天皇が神の子孫で、この世界を「神の子孫」であるが故に統治しているのならば、「人民が王の徳を褒める」ということを気にする必要はありません。それを気にするというのは徳治主義という儒教の影響を受けているからだと考えられます。

徳治主義では「徳」が大事で、「徳」があるから国をうまく治めることができ、「徳」があるから発展するという考えです。よって国が困窮しているということは王に「徳」が無いということになります。もしも王に「徳」が無くなった、となれば、他の誰かが「徳」の無い王を倒して、新しい王になることが出来ます。それが「易姓革命」です。これは徳治主義とは本来は切り離せないものです。

日本はこの古事記・日本書紀の中でその徳治主義の影響が見られるのです。ところが、日本には「易姓革命」という王朝の交代が実質ありませんでした。だから日本は「2000年ずっと天皇家の国」と言われるわけです。しかし、「徳治主義」を受け入れつつ、「易姓革命」は受け入れない、ということは変なのですね。原因は「日本人は文化をモザイク状に利用する」という性質です。日本人は外国の文化を切り刻んで使いやすい、使える、便利な部分だけを抜粋して使うという性質があります。それで既存の文化を組み合わせて取り込んでしまうというものです。

だから儒教の影響を受けつつ、本来の文化を失わず現在に至るというのですね。ちなみに朝鮮半島は李氏朝鮮になるときに仏教を全て捨て、全国民が「儒教」となりました。国民性の違いです。
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