キビツヒコ

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キビツヒコ

漢字・読み吉備津彦神
別名彦五十狭斧彦命・比古伊佐勢理毘古命
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概要

キビツヒコは第七代孝霊天皇の第三子。箸墓古墳の主ともいわれる予言の能力がある巫女ヤマトトトヒモモソヒメ神は姉。童話桃太郎はキビツヒコ神のウラ退治が元です。
朝鮮半島の百済の王子ウラを退治した皇子
朝鮮半島から日本に流れ着いた百済の元王子のウラ(温羅)。ウラは体が大きく、赤い髪、性格は凶暴。これが吉備の国の片岡山に「鬼の城」を造って住みつき乱暴狼藉を働く。これを退治したのがキビツヒコ。キビツヒコは朝廷から派遣された皇子です。
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引用

孝霊天皇
また意富夜麻登玖邇阿礼比売(オオヤマトクニアレヒメ)を娶って産んだ子供が
夜麻登登母母曽毘売命(ヤマトトモモソヒメノミコト
日子刺肩別命(ヒコサシカタワケノミコト
比古伊佐勢理毘古命(ヒコイサセリビコノミコト)――別名を大吉備津日子命(オオキビツヒコノミコト)
倭飛羽矢若屋比売(ヤマトトビハヤワカヤヒメ)
の4柱です。

孝霊天皇(日本書紀)
后は大日本根子彦国牽天皇(オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト=孝元天皇)を生みました。妃の倭国香媛(ヤマトノクニカヒメ…別名を絚某姉【ハヘイロネ】)と、倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)と彦五十狹芹彦命(ヒコイサセリビコノミコト…別名を吉備津彦命【キビツヒコノミコト】)と倭迹々稚屋姫命(ヤマトトトワカヤヒメノミコト)を生みました。

崇神天皇(十二)四道将軍の派遣(日本書紀)
(即位10年)9月9日。大彦命(オオビコノミコト=孝元天皇の子で開化天皇の兄)を北陸(クヌガノミチ)に派遣しました。
武渟川別(タケヌナカワワケ=古事記によると大彦命の子)を東海(ウミツミチ)に派遣しました。
吉備津彦(キビツヒコ=彦五十狹芹彦命=孝霊天皇の子で孝元天皇の弟)を西道(ニシノミチ)に派遣しました。
丹波道主命(タニワノチヌシノミコト=開化天皇の子の彦坐王の子で、垂仁天皇の后のヒバスヒメの父)を丹波(タニワ)に派遣しました。

崇神天皇(二十三)氷香戸邊の子の神託(日本書紀)
甘美韓日狹(ウマシカラヒサ)・鸕濡渟(ウカヅクネ)は朝廷に参上して、詳細に状況を説明しました。すぐに吉備津彦(キビツヒコ=崇神天皇からみて祖父の弟)と武渟河別(タケヌナカワワケ=崇神天皇のいとこ)を派遣して、出雲振根(イズモノフルネ)を殺しました。

桃太郎のページを参照
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性格・能力

281歳まで生きる
キビツヒコは鬼退治の後に281歳まで生きることから、延命長寿の神様としても信仰されます。
四道将軍の一人
皇子であり、朝廷から地方で反発する氏族を抑えるために派遣された将軍です。

神社や関連する土地

吉備津神社
吉備津彦神社
田村神社

個人的コラム

吉備津彦が吉備を制圧した人?
吉備地方を制圧した人が吉備津彦という名前なのはおかしいでしょう。吉備を治めている人の名前が「吉備津彦」であるはずです。吉備津彦と温羅の戦いの物語は、吉備地方にあった伝承であり、吉備を制圧した物語ではなかったのだと思います。おそらくヤマタノオロチと同じで、川の氾濫と治水を神話化したものでしょう。
その吉備の代表者が大和朝廷に参加したのがこの時代だったのかもしれません。
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