つのさはふ 磐之媛が おほろかに 聞さぬ 末桑の木

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仁徳天皇(二十四)つのさはふ 磐之媛が おほろかに 聞さぬ 末桑の木

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原文

十一月甲寅朔庚申、天皇浮江幸山背。時桑枝沿水而流之。天皇視桑枝歌之曰、
菟怒瑳破赴 以破能臂謎餓 飫朋呂伽珥 枳許瑳怒 于羅遇破能紀 豫屢麻志枳 箇破能區莽愚莽 豫呂朋譬喩玖伽茂 于羅愚破能紀
明日、乘輿詣于筒城宮、喚皇后、皇后不肯參見。時天皇歌曰、
菟藝埿赴 揶摩之呂謎能 許久波茂知 于智辭於朋泥 佐和佐和珥 儺餓伊弊齊虛曾 于知和多須 椰餓波曳儺須 企以利摩韋區例
亦歌曰、
菟藝埿赴 夜莽之呂謎能 許玖波茂知 于智辭於朋泥 泥士漏能 辭漏多娜武枳 摩箇儒鶏麼虛曾 辭羅儒等茂伊波梅
時皇后令奏言「陛下納八田皇女爲妃、其不欲副皇女而爲后。」遂不奉見、乃車駕還宮。天皇於是、恨皇后大忿、而猶有戀思。
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現代語訳

(即位30年)11月7日。
天皇は川に浮かんだ船から山背(ヤマシロ)へと行きました。そのときに桑の枝が川の水に流れていました。天皇はその桑の枝を見て、歌を歌いました。
つのさはふ 磐之媛(イワノヒメ)が おほろかに 聞(キコ)さぬ 末桑(ウラグワ)の木 寄るましじき 川の隈々(クマグマ) 寄よろほひ行くかも 末桑(ウラグワ)の木
歌の訳(「ツノサハフ」は磐にかかる枕詞)磐之媛が大らかに話を聞いてくれないなぁ。ウラグワの木が川の流れに沿って、川の岸から岸へと寄って来て、行ってしまう。ウワグワの木よ。

仁徳天皇は皇后に冷たくされ、かといって八田皇女も迎え入れられない。そういうフワフワした状態の自分を川に流れる桑の枝に重ねた歌。

翌日、乗輿(スメラミコト=天皇の乗る乗り物=御輿)は筒城宮に到着して、皇后を呼び寄せました。皇后は参り出てきませんでした。そのとき、天皇は歌を歌いました。
つぎねふ 山背(ヤマシロ)女(メ)の 木鍬(キクワ)持ち 打ちし大根(オオネ) さわさわに 汝が言へせこそ 打ち渡す やが栄(ハ)えなす 来入り参来れ
歌の訳(「つぎねふ」は山代に掛かる枕詞)山代の女が木の鍬を持って打って、掘り出した大根の葉がサワサワとしている。そんな風にサワサワと騒がしくあなたが言ったから、川を渡って、たくさんの人を引き連れて、来たって言うのになぁ。

また歌いました。
つぎねふ 山背女の 木鍬持ち 打ちし大根(オオネ) 根白(ネジロ)の 白腕(シロタダムキ) 枕(マ)かずけばこそ 知らずとも言はめ
歌の訳(「つぎねふ」は山代に掛かる枕詞)山背の女が木の鍬を持って打って掘り出した大根。白い根のような、白い腕を枕にして寝たことが無いって言うならば、私を知らないと言えるだろうが…(知らない訳もないだろう。一緒に住んでいたんだからさ)

皇后は天皇に言いました。
「陛下、八田皇女(ヤタノヒメミコ)を後宮に召し入れて妃としなさいな。その皇女(ヒメミコ)と一緒に皇后で居たいとは思いません」
ついに会うことはありませんでした。車駕(スメラミコト=天皇の乗る乗り物)は宮へと帰りました。天皇は皇后がとても怒っているのを恨みに思いましたが、しかし尚、恋しく思っていました。
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解説

古事記とはちょっと違う
古事記では「皇后が筒城宮にいるのは、ブチ切れてじゃなくて、蚕っていう珍しい虫がいるって聞いたからなんですよ」と口子臣と口比売と奴理能美(ヌリノミ)が共謀して天皇と皇后の中を穏便に済ませようとしています。結局、天皇の皇后の仲がどうなったのかは分かりませんけどね。
仁徳天皇(二十三)口持臣は筒城宮で皇后に謁見したが…によると、口持臣は別伝では「口子臣」とあるので、「口持臣=口子臣」で「国依媛=口比売」ということでしょう。

余談ですが、第五段一書(十一)ウツシキアオヒトクサ第五段一書(二)三貴神からワクムスビまで、ではワクムスビウケモチの頭から、「桑・蚕」が生まれていることと、「口から蚕を紡ぐことができた」という記述があることから、「口」は蚕とつながりのある言葉だったんでしょう。おそらく、蚕の繭を口で紡いでいたか、蚕が口から糸を吐くのを見て、そう考えてかと。

この筒城宮へ行く物語には「桑」「鍬(クワ)」が頻出しています。これは蚕の食料である桑をかけた物語だったんじゃないでしょうか。そういう「蚕」の伝承があり、そこに仁徳天皇を絡めた神話が生まれたのではないか?と。
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