鳴く牡鹿でもないってのに、夢で見たままになった

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仁徳天皇(二十七)鳴く牡鹿でもないってのに、夢で見たままになった

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原文

俗曰「昔有一人、往菟餓、宿于野中。時二鹿臥傍、將及鶏鳴、牝鹿謂牝鹿曰『吾今夜夢之、白霜多降之覆吾身。是何祥焉。』牝鹿答曰『汝之出行、必爲人見射而死。卽以白鹽塗其身、如霜素之應也。』時宿人、心裏異之。未及昧爽、有獵人、以射牡鹿而殺。」是以、時人諺曰「鳴牡鹿矣、隨相夢也。」

現代語訳

その国の人は言いました。
「昔、一人の人が居た。菟餓(トガ=摂津国八田郡菟餓野、もしくは現在の兵庫県神戸市兵庫区夢野町?。未詳)に行き、野の中に宿を取りました。そのときに二つの鹿が傍に来て伏せました。鶏鳴(アカツキ=暁=夜明け)近くになると、牡鹿は牝鹿に語って言いました。
『わたしは今夜夢を見た。白い霜が多く降って、我が身を覆った。これはどういう兆候なのか?』
牝鹿が答えて言いました。
『あなたが出かけたら、必ず人の為に射られて死ぬでしょう。すぐに白塩(シオ)をその身に塗られて、霜のように白くなるという兆候でしょう』
そのときに宿をとった人は、心の中で不思議だなぁと思いました。未及昧爽(アケボノ=曙=夜明け)に狩人が現れて、牡鹿を射って殺しました。これでその時代の人は諺で言いました。
『鳴く牡鹿(シカ)でもないってのに、夢で見たままになった』と言いました」
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解説

前の「仁徳天皇(二十六)菟餓野の鹿と佐伯部の移卿」では佐伯がシカを献上して安芸へと移動させられるお話でした。それとは別に、「菟餓」の「野」に泊まった男が見た光景の話があげられています。

宿のそばにやってきた牡鹿と牝鹿が話す時点で、この鹿たちは神様っぽいのですが。そこは置いておきましょう。それで鹿は話を始める。
「昨日、真っ白になる夢を見たよ」
「そりゃ、殺されて塩漬けになる前兆だわ」
「え!」
その話をした翌日に、牡鹿はその夢のとおりに殺されてしまう。それで『鳴く鹿でもないのに、夢で見たままに殺される』って諺ができたんだよーって話です。

鹿が泣いていたら居場所が知られてしまいます。だから「鳴く」ってのは危ない。その「鳴く」って行動をしていないのに「夢」で見た通りに殺される、ってことは「夢」ってものが非常に強い影響力を持っているという考えがあった、ということでしょう。

天皇も寝ているうちに神託を受けていますから、「夢」の評価は非常に高かった。
狩人
わたしは「穢れを日本人は嫌った」と書いています。その穢れの代表選手が動物の屍体です。だから日本人は肉食をしない。でも、出雲神話にしてもその他の神話にしても、「狩」はしているんですね。肉食もしていた。わたしは最初から最後まで「肉食をしていない」のではなく、ある時点から肉食を嫌うようになり、それが徐々に広がっていったと思います。

その中で皇族も狩をしているんですね。例えばヤマトタケルです。しかしヤマトタケルが焼津でしたのは狩は狩でも「覓獸」と書いて「カリ」と読ませているだけです。「覓」は「もとめる」という意味ですから、私たちが言う所の「狩」というよりは「ウォッチング」に近いのかもしれません。

また、「神功皇后(十八)広田国と活田長峽国と長田国と大津の渟中倉の長峽に祀る」では麛坂王・忍熊王が神功皇后との戦争前に、狩で占い(誓約)をしているのですね。狩は失敗し麛坂王はイノシシに食い殺されてしまいます。確かに皇族も狩をし、動物を殺そうとしていますが、この麛坂王・忍熊王は東国の兵を率いていました。東国というと蝦夷とのつながりもあったでしょう。しかも、その狩をした土地が菟餓野(トガノ)という名前ですから、何をか言わんやです。
トガノ
トガノという地名は「科(トガ)」から来ているんじゃないでしょうか? 科とは「罪」のことです。
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