雌鳥皇女と隼別皇子の逃避行

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仁徳天皇(二十八)雌鳥皇女と隼別皇子の逃避行

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原文

卌年春二月、納雌鳥皇女欲爲妃、以隼別皇子爲媒、時隼別皇子密親娶而久之不復命。於是、天皇不知有夫而親臨雌鳥皇女之殿、時爲皇女織縑女人等歌之曰、
比佐箇多能 阿梅箇儺麼多 謎廼利餓 於瑠箇儺麼多 波揶步佐和氣能 瀰於須譬鵝泥
天皇知隼別皇子密婚而恨之、然重皇后之言、亦敦友于之義而忍之勿罪。俄而、隼別皇子、枕皇女之膝以臥、乃語之曰「孰捷鷦鷯與隼焉。」曰「隼捷也。」乃皇子曰「是我所先也。」天皇聞是言、更亦起恨。時隼別皇子之舍人等歌曰、
破夜步佐波 阿梅珥能朋利 等弭箇慨梨 伊菟岐餓宇倍能 娑弉岐等羅佐泥
天皇聞是歌而勃然大怒之曰「朕以私恨、不欲失親、忍之也。何舋矣私事將及于社稷。」則欲殺隼別皇子。時皇子率雌鳥皇女、欲納伊勢神宮而馳。於是、天皇聞隼別皇子逃走、卽遣吉備品遲部雄鯽・播磨佐伯直阿俄能胡曰「追之所逮卽殺。」爰皇后奏言「雌鳥皇女、寔當重罪。然其殺之日、不欲露皇女身。」乃因勅雄鯽等「莫取皇女所齎之足玉手玉。」雄鯽等、追之至菟田、迫於素珥山。時隱草中僅得兔、急走而越山、於是、皇子歌曰、
破始多氐能 佐餓始枳揶摩茂 和藝毛古等 赴駄利古喩例麼 揶須武志呂箇茂
爰雄鯽等知兔、以急追及于伊勢蔣代野而殺之。時雄鯽等、探皇女之玉、自裳中得之、乃以二王屍埋于廬杵河邊而復命。皇后令問雄鯽等曰「若見皇女之玉乎。」對言「不見也。」
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現代語訳

即位40年春2月。
雌鳥皇女(メドリノヒメミコ)を後宮に入れて妃としようと思って、隼別皇子(ハヤブサワケノミコ)を媒(ナカダチ)としました。その時に隼別皇子は密かに自ら雌鳥皇女(メドリノヒメミコ)を娶って、報告をしませんでした。それで天皇は雌鳥皇女(メドリノヒメミコ)に夫が居るのを知らないで、自ら雌鳥皇女の住居へと行きました。その時、皇女のために織物を織っている女人たちが歌を歌っていました。
ひさかたの 天金機(アメノカナバタ) 雌鳥(メトリ)が 織る金機(カナバタ) 隼別(ハヤブサワケ)の 御襲料(ミオスヒガネ)
歌の訳(「ヒサカタ」は天に掛かる枕詞)空に舞う雌鳥の金機(カナバタは金属部分のある機織り機)で、雌鳥が織るよ。金機で織るよ。隼別が着る服を織るよ。

天皇は密かに結婚したことを知り、恨みました。しかし皇后の言葉を重要視して、はばかりました。また友于(コノカミオトト=兄弟間の友情)の義(コトワリ)を篤(アツ)く思っていたので、我慢して罪としませんでした。しばらくして、隼別皇子は皇女の膝枕をして伏せていました。それで語って言いました。
「鷦鷯(サザキ=ミソサザイという鳥の古名=仁徳天皇のこと)と隼(ハヤブサ)ではどちらが速いでしょうか?」
答えて言いました。
「隼が速い」
皇子は言いました。
「これはつまり、私が先んじている所だ(=優れているということ)」
天皇はこの言葉を聞いて、さらに恨みました。そのとき、隼別皇子の舎人たちが歌を歌って言いました。
隼は 天に上り 飛び翔り 齋(イツキ)が上の 鷦鷯(サザキ)取らさね
歌の訳隼は天に昇り、飛び翔り、斎場(祭祀・儀式の場=神社など)の上にいる鷦鷯を取ってしまいなさい(=隼別皇子は仁徳天皇を殺してしまえ)。

天皇はこの歌を聞いて、甚だ大いに怒って言いました。
「朕(ワレ)は私的な恨みをもって親族を失いたくは無いから、我慢してきた。どうして舋(キズ=落ち度)があったら、私事の男女の揉め事が国の一大事になってしまうというのか」
すぐに隼別皇子を殺そうと思いました。そのとき、皇子は雌鳥皇女を連れて、伊勢神宮に逃げようと走っていました。天皇は隼別皇子は逃走したと聞いて、すぐに吉備品遲部雄鯽(キビノホムチベノオフナ)と播磨佐伯直阿俄能胡(ハリマノサエキノアタイアガノコ)を派遣して言いました。
「追いついたところですぐに殺せ」
皇后は言いました。
「雌鳥皇女はまことに重い罪にあたる。しかし、殺すときは皇女の(衣服や装飾を取り去り)肌を露わにしないように」
それで雄鯽(オフナ)たちに勅(ミコトノリ)して言いました。
「皇女の身につけている足玉手玉(アシダマタダマ)を取るなよ」
雄鯽たちは追いかけて菟田(ウダ)に到着し、素珥山(ソニヤマ)に迫りました。そのときに草の中に隠れて、僅かに免れることが出来ました。急いで逃げて山を越えました。それで皇子は歌を歌いました。
梯子(ハシタテ)の 険(サガ)しき山も 我妹子(ワギイモ)と 二人越ゆれば 安蓆(ヤスムシロ)かも
歌の訳梯子を立てたような険しい山であっても、わたしの愛する人と二人で超えるならば、ふかふかの蓆(ムシロ)に座ってるようなものだ。

雄鯽たちは逃げられたと知って、急いで伊勢の蔣代野(コモシロノノ)で追いついて殺しました。そのときに雄鯽たちは皇女の玉を探って、服の中から得ました。すぐに二人の王(隼別皇子と雌鳥皇女)の屍(カバネ=死体)を廬杵河(イホキガワ)のほとりに埋めて、報告しました。皇后は雄鯽に問うて言いました。
「もしかして、皇女の玉を見ましたか?」
答えて言いました。
「見てません」
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解説

古事記
古事記では皇后である石之日売命(磐之媛)の死が描かれていませんから、女鳥王(雌鳥皇女)の「手玉足玉を取るなよ!」と発言したのはあくまで石之日売命(磐之媛)ということになっています。

しかし日本書紀では磐之媛は死に、八田皇女が皇后となっているので、ここで「手玉足玉を取るなよ」と言っているのは八田皇女です。八田皇女と雌鳥皇女は「同母姉妹」です。

ちなみに仁徳天皇から見ると八田皇女と雌鳥皇女は二人ともが「異母妹」にあたります。萌え。

ということは、八田皇女が「手玉足玉を取るなよ」と発言したのは姉としてのせめてもの「情け」ということになります。全然不自然じゃないんです。
伊勢神宮に逃げる理由
神社は当時、犯罪者が逃げ込むところで、逃げ込んだら朝廷も手が出せ無い場所だったようです。だから伊勢を目指したのです。
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