田道、既に死んだといえども敵に報いた

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仁徳天皇(三十四)田道、既に死んだといえども、遂に敵に報いた

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原文

五十五年、蝦夷叛之。遣田道令擊、則爲蝦夷所敗、以死于伊峙水門。時有從者、取得田道之手纏、與其妻。乃抱手纏而縊死、時人聞之流涕矣。是後、蝦夷亦襲之略人民、因以、掘田道墓、則有大蛇、發瞋目自墓出以咋、蝦夷悉被蛇毒而多死亡、唯一二人得兔耳。故時人云「田道雖既亡、遂報讎。何死人之無知耶。」

現代語訳

即位55年。蝦夷が叛(ソム)ました。田道(タジ)を派遣して撃たせました。蝦夷に破れ、伊峙水門(イシノミト=現在の千葉県夷隅郡と勝浦市?)で死んでしまいました。そのときに従者がいて、田道(タジ)の手纏(タマキ=腕輪)を手に入れて、その妻に与えました。すぐに手纏(タマキ)を抱いて、縊死(ワナキシヌ=首を吊って死ぬ)しました。その時代の人はそれを聞いて悲しみました。この後、蝦夷はまた襲って人民を連れ去りました。その際に田道の墓を掘り返しました。その墓の中には大蛇(オロチ)が居て、目を怒らせて墓から出て蝦夷たちを食べました。蝦夷はことごとく蛇の毒を浴びて、たくさん死にました。ただ一人、二人が免れることができただけでした。その時代の人は言いました。
「田道(タジ)、既に死んだといえども、遂に敵に報いた。どうして死んだ人に知が無いと言えるのか」
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解説

タマキ
田道が死んだので、その持ち物である「タマキ」を妻(ここでは田道の妻)に渡したら、その遺品を抱いて首をくくって自殺してしまった。夫の後追いってことです。

そんで蝦夷がまた攻めてきて、田道の墓を暴くと蛇が出てきて、それに食べられたり毒を吐かれてほとんど死んでしまった。
墓を暴くこと
日本人は墓を暴きません。なぜなら、怨霊が怖いからです。人は死んでも魂はあり、その魂は生前、強い権力を持っていた人ほど強く、その魂が本気で恨めば、どんな恐ろしいことでもあるのですね。だから日本人は憎たらしい敵であっても墓は暴かない。

「蝦夷が墓を暴いた」ということは蝦夷は大和朝廷とは「違う文化」だったのでしょう。少なくとも「怨霊」とか「死者が祟る」という感覚が無いのです。日本以外では墓は暴くものなんですよね。生前の憎しみを死後に晴らす、みたいな。

蛇はネズミを食べます。ネズミってのは世界共通の「恐ろしい動物」でした。ネズミは穀物を食べ、増え、それだけでなく病気を広めます。ところが蛇が一匹いるだけでネズミは近づかない。蛇の皮だけでも効果があります。だから蛇は「農業の神」で「豊作・豊穣の象徴」です。蛇がヌルっとして気持ち悪いという感覚は、現代っ子らしい考えなんですね。

その一方で蛇は「川」の象徴で、水の神であり、「龍」でもあります。ヤマタノオロチ退治の神話が「治水事業の神話化」とされるのもこの辺りです。川は氾濫すると全てを無にしてしまいます。つまり、切れると怖いってのも「蛇」なわけです。

推測ですが、獣を食べ狩猟民族である蝦夷が、田道の墓を暴いてしまう。そして農業の象徴である蛇が現れ、田道の生前の怒りのままに彼らを食べ殺してしまった…というのは大和朝廷と蝦夷の文化衝突で生まれた物語ではないかと思うのですね。それに「田道」という名前も変です。そもそも農業神話だったものが怨霊の神話と交わって出来たのではないかなと。
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