刺領巾による仲皇子の殺害

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履中天皇(五)刺領巾による仲皇子の殺害

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原文

仲皇子、思太子巳逃亡而無備。時有近習隼人、曰刺領巾。瑞齒別皇子、陰喚刺領巾而誂之曰「爲我殺皇子、吾必敦報汝。」乃脱錦衣褌、與之。刺領巾、恃其誂言、獨執矛、以伺仲皇子入厠而刺殺、卽隸于瑞齒別皇子。於是木菟宿禰、啓於瑞齒別皇子曰「刺領巾、爲人殺己君。其爲我雖有大功、於己君無慈之甚矣。豈得生乎。」乃殺刺領巾。卽日向倭也、夜半臻於石上而復命。於是、喚弟王以敦寵、仍賜村合屯倉。是日、捉阿曇連濱子。

現代語訳

仲皇子(ナカツミコ)は太子が逃げたと思って、(反撃の)備えをしていませんでした。そのとき、仲皇子の側近に仕える隼人(ハヤヒト)がいました。刺領巾(サシヒレ)といいます。瑞歯別皇子(ミズハワケノミコ)は陰(ヒソカ)に刺領巾(サシヒレ)を呼び寄せて、騙して言いました。
「わたしのために皇子(ミコ=仲皇子のこと)を殺せ。そうすればわたしは、お前に手厚い報償を与えよう」
錦の衣と褌(ハカマ)を脱いで与えました。刺領巾(サシヒレ)はその嘘の言葉を当てにして、独り矛を手にとって、仲皇子が厠(カワヤ=トイレ)に入ったのを伺って、刺し殺しました。そして瑞歯別皇子に付きました。木菟宿禰(ツクノスクネ)は瑞歯別皇子に言いました。
「刺領巾(サシヒレ)は他者のために自分の君主を殺した。それが我々にとって大きな功績だとしても、自分の君主に対して慈愛があまりに無い。どうして生きていられるというのか」
すぐに刺領巾を殺しました。その日に倭に向かいました。夜中に石上神宮に詣でて太子に報告しました。弟王(イロドノミコ=瑞歯別皇子のこと)を呼び寄せて、厚く寵愛しました。それで村合屯倉(ムラハセノミヤケ)を与えました。この日に安曇連浜子(アズミノムラジハマコ)を捕らえました。
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解説

安曇連浜子
太子を追いかけて竜田山まで来た阿曇連浜子の追手でしたが、逆に太子に捕らえられ、この仲皇子が殺された後では安曇連浜子自身も捕らえられました。

君主と部下の関係
儒教では上下関係が大事です。下が上を敬い、上は徳を持って接することで、社会を安定させようとするのが、儒教のキモです。よって、下のものが上のものを殺しちゃうってのは、論外なんですね。それで太子が助かったとしても。

それで刺領巾を殺したわけです。しかし命令に応じた人間を殺すというのもやっぱり不徳なんですよ。その間を取ったのが古事記です。古事記では、一旦褒美を与えてから、殺しています。まぁ、ひどい話ですけどね。
木菟宿禰
古事記ではすべての判断は瑞歯別皇子が行っているのですが、日本書紀では刺領巾の処遇を木菟宿禰が提案しています。木菟宿禰は儒教を理解していた人物だったのでしょう。
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