反正天皇(日本書紀)

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反正天皇(日本書紀)

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現代語訳

瑞歯別天皇(ミズハワケノスメラミコト=反正天皇)は去来穗別天皇(イザホワケノスメラミコト=履中天皇)の同母弟(イロド)です。去来穗別天皇の即位2年に交代しとなりました。天皇は始めは淡路宮(アワジノミヤ=所在不明)に生まれました。生まれながら歯が一つの骨のようでした(=歯並びが非常に良かった)。容姿は美麗でした。井戸がありました。瑞井(ミツノル)といいます。そこから水を汲んで太子(ヒツギノミコ=瑞歯別皇子)を洗いました。そのとき多遅(タジ)の花が井戸の中にありました。それで太子の名前としました。多遅(タジ)の花とは現在の虎杖(イタドリ=タデ科の植物)のことです。それで多遲比瑞歯別天皇(タジヒノミツハノワケノスメラミコト)を称えます。

6年春3月に去来穗別天皇(イザホワケノスメラミコト=履中天皇)が崩御しました。

元年春1月2日。儲君(ヒツギノミコ=瑞歯別皇子)は天皇に即位しました。

秋8月6日。大宅臣(オオヤケノオミ)の祖先の木事(コゴト)の娘の津野姫(ツノヒメ)を立てて皇夫人(キサキ)としました。香火姬皇女(カヒノヒメミコ)と円皇女(ツブラノヒメミコ)を生みました。また夫人(キサキ)の妹の弟媛(オトヒメ)を後宮に入れて、財皇女(タカラノヒメミコ)と高部皇子(タカベノミコ)を生みました。

冬10月に河内の丹比(タジヒ)に都を作りました。これを柴籬宮(シバカキノミヤ)といいます。この時代、風雨がうまく順繰りに巡って五穀が成熟(ミノ)りました。人民は富み、賑わい、天下泰平でした。この年は太歲丙午でした。

即位5年春1月23日天皇は正寝(オオトノ=天皇の寝室)で崩御しました。
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解説

履中天皇は即位6年3月に死亡。次の反正天皇はその翌年の1月に即位して5年1月に死亡ということで、履中天皇と反正天皇は6年と5年という短い期間しか天皇位についていませんでした。

履中天皇の前は仁徳天皇で仁徳天皇が83歳なのを考えると履中天皇が5年しかいられなかったのは、しょうがないのかもしれません。それに古代ですから病気で死ぬなんて珍しくないでしょうし。

履中天皇と反正天皇は同母弟ですから、年齢も近かったのでしょう。反正天皇の時代が5年しかないのも、しょうがないことです。
記述が少ない
履中天皇は仲皇子と戦争してどうにか即位。その仲皇子の部下をそそのかして仲皇子を殺したのが反正天皇。反正天皇はその仲皇子の部下を「不忠義」であることから殺害しています。

反正天皇の手は血で汚れていた。だから記述が少ないのではないか?と想います。天皇はスメラミコトと読みます。スメラとは清らかであるということ。天皇は清らかでないといけなかった。穢れてはいけない。

反正天皇は戦争の功績から天皇位につくことができたが、その穢れは消えたわけではない。功績は別の天皇に吸収されたか、消されてしまった。とわたしは考えています。
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原文

瑞齒別天皇、去來穗別天皇同母弟也。去來穗別天皇二年、立爲皇太子。天皇、初生于淡路宮、生而齒如一骨、容姿美麗。於是有井曰瑞井、則汲之洗太子、時多遲花有于井中、因爲太子名也。多遲花者今虎杖花也、故稱謂多遲比瑞齒別天皇。六年春三月、去來穗別天皇崩。

元年春正月丁丑朔戊寅、儲君卽天皇位。秋八月甲辰朔己酉、立大宅臣祖木事之女津野媛、爲皇夫人、生香火姬皇女・圓皇女。又、納夫人弟々媛、生財皇女與高部皇子。

冬十月、都於河內丹比、是謂柴籬宮。當是時、風雨順時、五穀成熟、人民富饒、天下太平。是年也、太歲丙午。

五年春正月甲申朔丙午、天皇崩于正寢。
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