弟姫は近江坂田で天皇の申し出を拒絶

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允恭天皇(十)弟姫は近江坂田で天皇の申し出を拒絶

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原文

時弟姫、隨母以在於近江坂田、弟姫畏皇后之情而不參向。又重七喚、猶固辭以不至、於是天皇不悅而復勅一舍人中臣烏賦津使主曰「皇后所進之娘子弟姫、喚而不來。汝自往之、召將弟姫以來、必敦賞矣。」爰烏賦津使主、承命退之、糒褁裀中、到坂田、伏于弟姫庭中言「天皇命以召之。」弟姫對曰「豈非懼天皇之命。唯不欲傷皇后之志耳。妾雖身亡、不參赴。」

現代語訳

弟姫(オトヒメ)は母に付随して、近江の坂田(サカタ=滋賀県坂田郡)に居ました。弟姫は皇后(=弟姫から見ると姉)の心情を思って、参上しませんでした。また重ねて7回も呼ばれました。しかし、それでも尚、固く辞して応じませんでした。天皇は残念に思いました。しかしまた一人の舎人(トネリ)の中臣烏賦津使主(ナカトミノイカツノオミ)に勅(ミコトノリ)して言いました。
「皇后の献上する娘子(オミナ)の弟姫は呼び寄せても来ない。お前、行って弟姫を連れてきたならば、必ず厚く報償を与えよう」
烏賦津使主(イカツノオミ)は命令を賜って、退きました。糒(ホシイ=干し飯=干した米の保存食)を裀(キヌ=着物のみごろ=みごろは着物の内側のこと)に包んで、坂田に到着しました。烏賦津使主(イカツノオミ)は弟姫の庭の中に伏して言いました。
「天皇の命令を持って迎えに来ました」
弟姫は答えて言いました。
「どうして天皇の命令に畏まらないことがありましょうか。しかし皇后の心を傷つけたくありません。わたしめは死んでしまうといえども、参上いたしません」
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解説

烏賦津使主と役割
この烏賦津使主は神功皇后の時代にも名前が見られます。神功皇后は4世紀の中頃。允恭天皇は5世紀かと思われますので、存命とは考え難い。これは「氏族」の名前であって特定の個人の名前ではなかったのではないかと。

烏賦津使主は神功皇后の時代では「審神者(サニワ)」の役割を果たしています。審神者というのは、神が巫女に降りたときに、その巫女が発する神託を分析する役割です。巫女というのは神託を受けるときは「トランス状態」ですから、言葉や文章が無茶苦茶になります。まぁーラリってるってことです。その無茶苦茶な発言を分析する審神者こそが、実際には神を動かしている黒幕という言い方も出来ます。

それはともかく。

烏賦津使主が弟姫と天皇の間に立ってやりとりをするというのは、審神者の性質を持っていたんじゃないかと思うのです。神託を受けた神功皇后の審神者となることと、弟姫に愛人になるようにお願いするってのは、同質だったんじゃないかと。

多分ですが、弟姫というのは実在の人物ではなく、ある地域の神で、その地域が大和朝廷に服属したということが「弟姫を愛人にする」という物語に転換したのではないかと思うのです。だから「審神者」が物語に絡んだ。古代の人にとってはここでは過去に審神者として登場した烏賦津使主が姫に申し出をするのがシックリ来る。そういうことではないかと。
ちなみに、その服属した地域は当然、近江の坂田でしょう。
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