淡路嶋の神の祟りと男狹磯

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允恭天皇(十六)淡路嶋の神の祟りと男狹磯

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現代語訳

即位14年秋9月12日。天皇は淡路嶋(アワジシマ)で猟(カリ)をしました。そのときに麋鹿(オオシカ)・猨(サル=猿)・猪(イ=いのしし)が莫々紛々(アリノマガイ=ギッシリと沢山)に山谷に満ちていました。炎のようにひしめき、蝿のように騒いでいました。しかし終日(ヒネモス)狩りをしても一匹の獣をも得られませんでした。それで猟(カリ)をやめて、代わりに占いました。嶋の神が祟って言いました。
「獣を得られないのは、わたしの心だ。赤石(アカシ)の海の底に真珠(シラタマ)がある。その珠をわたしに祭れば、すべての獣が得られるだろう」
そこで処々(トコロドコロ)の白水郎(アマ=海人)を集めて、赤石の海の底を探させました。海は深くて底には届きませんでした。ただ一人の海人がいて、名前を男狹磯(オサシ)といいました。阿波国の長邑(ナガノムラ=徳島県那賀郡那賀川町?)に人でした。白水郎(アマ)の中でも優れていました。腰に縄をつけて海の底に入りました。ややしばらくして、出て言いました。
「海の底に大蝮(オオアワビ)があります。そこが光っています」
諸々の人は皆言いました。
「嶋の神が請う珠が、この蝮(アワビ)の中にあるにちがいない」
また海に入って探しました。
男狹磯(オサシ)は大蝮(オオアワビ)を抱いて浮かび上がってきました。そのまま息絶えて、波の上で死んでしまいました。縄を下ろして海の深さを図ると六十尋(ムソヒロ)でした。すぐに蝮(アワビ)を割きました。本当に真珠が腹の中にありました。その大きさは桃子(モモノミ=桃の実)くらいでした。嶋の神を祀って猟(カリ)をしました。多くの獣を得ました。ただ男狹磯が死んだことを悲しんで、墓を作って厚く葬りました。その墓は今でもあります。
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解説

天皇と狩り
天皇はたびたび狩りをするのですが、これが「娯楽」だったかというと、わたしは違うんじゃないかと思っています。狩りは儀式だったんじゃないかと。

神功皇后が朝鮮征伐を終えて日本に帰ってきたときに、麛坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)が反逆して戦争になります。その戦争の前に狩りをしています。狩りがうまくいけば戦争に勝つという「占い」です。しかし麛坂王は猪に食い殺されてしまいます。

狩りがうまく行くというのは、国家の運営に関わる大事なことだったのではないかと。単に天皇の娯楽ではなかった。だから淡路島の神の祟りを海人を総動員してまで解決する必要があった。

特に淡路島は古代から海上交通の要所でした。また淡路島に近い本州の播磨も重要な土地です。

あと「アワビ」も大事だと思います。熨斗袋(ノシブクロ)に蝶々結びしてありますよね。あの紐は本来「アワビを干したもの」です。アワビって縁起もいいのです。古代の日本は「美味しい」料理が神様を感動させると考えていましたから、美味しい食材を獲れる地域って重要視していました。

こういう幾つかの要素があって淡路島と、その近くの海人を特別視した、のではないかなと思います。
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原文

十四年秋九月癸丑朔甲子、天皇獵于淡路嶋。時、麋鹿・猨・猪、莫々紛々盈于山谷、焱起蠅散、然終日以下獲一獸。於是、獵止以更卜矣、嶋神祟之曰「不得獸者、是我之心也。赤石海底有眞珠、其珠祠於我則悉當得獸。」爰更集處々之白水郎以令探赤石海底、海深不能至底、唯有一海人曰男狹磯、是阿波国長邑之海人也、勝於諸白水郎也、是腰繋繩入海底、差須臾之出曰「於海底有大蝮、其處光也。」諸人皆曰「嶋神所請之珠、殆有是蝮腹乎。」亦入而探之。

爰男狹磯、抱大蝮而泛出之、乃息絶、以死浪上。既而、下繩測海深、六十尋。則割蝮、實眞珠有腹中、其大如桃子。乃祠嶋神而獵之、多獲獸也。唯、悲男狹磯入海死之、則作墓厚葬、其墓猶今存之。
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