親々相姧のために娘皇女は伊予へ

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允恭天皇(十八)親々相姧のために娘皇女は伊予へ

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現代語訳

即位24年夏6月。御膳(オモノ)の羹汁(シル=あつもの=熱い汁物)が固まって氷が張っていました。天皇は不思議に思って、その理由を占わせました。占った人が言うには
「国内に乱れがあります。親親(ハラカラドモ=同胞共=同母兄弟姉妹)が相姧(タワケ=姦通)したのではないかと」
その時、人がいて言いました。
「木梨軽太子(キナシノカルノヒツギノミコ)と同母妹(イロモ)の軽大娘皇女(カルノオオイラツメノヒメミコ)を犯しました」
それで問い詰めると、事実でした。太子は儲君(マウケノキミ=次の天皇のこと)なので罪を問うことは出来ませんでした。そこで大娘皇女(オオイラツメヒメミコ)を伊予(イヨ=愛媛県)へと移されました。太子は歌を歌いました。
大君を 嶋に放(ハブ)り 船余(フナアマ)り い還り来むぞ 我が畳(タタミ)斎(ユ)め 言(コト)をこそ 畳と言はめ 我が妻を斎(ユ)め
歌の訳大王を島に放っても、船がたくさんあるのだから、帰ってくるよ。だから私の畳を綺麗にしておいてください(旅に出る間は畳を綺麗にしておく風習があった)。いや言葉では畳と言ったけど、わたしの妻よ清らかにしてくれよ(浮気するなよという意味)。

また歌を歌いました。
天(アマ)だむ 軽乙女(カルオトメ) いた泣かば 人知りぬべみ はさの山の 鳩の 下泣きに泣く
歌の訳(「あまだむ」は軽の枕詞)軽の少女よ。ひどく泣いたら、人に知られてしまう。幡舎の山の鳩のように忍び泣いているよ。

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解説

軽太子は軽娘皇女と近親相姦関係になりました。この二人の関係が果たして「当時、本当に問題視されたか?」は疑問です。日本語では「夫」と「兄」は同じ「セ」と呼び、「愛する人のこと」を「妹」と表現するように兄弟で結婚するのは普通だったハズなんですね。ただ古事記を編纂する時代には「近親相姦はダメ」とはなったものの、それがどの時点で「OK」から「NG」になったのかは分かりません。

だからこれらの物語が史実かどうかは不明です。

古事記とは違う
古事記では伊予(愛媛県)に流されたのは「軽太子」の方ですが、日本書紀では軽娘皇女が伊予へと流されます。この入れ違いがあるのに、歌われる歌が変わってないので、どうもチグハグなんですよね。
日本書紀では軽娘皇女が伊予、軽太子が本州にいるのに、「大王を島に放っても、船がたくさんあるのだから、帰ってくるよ。」と歌っているのは、無茶苦茶。おそらく歌は昔からあった歌謡で物語とは関係なかったと思われます。

古事記の方が「歌」と「物語」の辻褄があっています。
相姧(タワケ)
神社の祝詞では「やっちゃいけないこと」が挙げられていて、その中には「馬婚」「牛婚」「鶏婚」「犬婚」とあり、「婚」という時を「タワケ」と読んでいます。わたしはどーも「バカ」という意味で「タワケ」というのは、これが語源なんじゃないかと疑ってます。
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原文

廿四年夏六月、御膳羹汁、凝以作氷。天皇異之、卜其所由、卜者曰「有內亂、蓋親々相姧乎。」時有人曰「木梨輕太子、姧同母妹輕大娘皇女。」因以、推問焉、辭既實也。太子是爲儲君、不得刑、則移輕大娘皇女於伊豫。是時太子歌之曰、
於裒企彌烏 志摩珥波夫利 布儺阿摩利 異餓幣利去牟鋤 和餓哆々瀰由梅 去等烏許曾 哆多瀰等異泮梅 和餓菟摩烏由梅
又歌之曰、
阿摩儾霧 箇留惋等賣 異哆儺介縻 臂等資利奴陪瀰 幡舍能夜摩能 波刀能 資哆儺企邇奈勾
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