大泊瀬皇子は瑞歯別天皇の娘を望むが

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安康天皇(三)大泊瀬皇子は瑞歯別天皇の娘を望むが

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原文

十二月己巳朔壬午、穴穗皇子卽天皇位、尊皇后曰皇太后、則遷都于石上、是謂穴穗宮。

當是時、大泊瀬皇子、欲聘瑞齒別天皇之女等(女名不見諸記)、於是皇女等皆對曰「君王恆暴强也、儵忽忿起、則朝見者夕被殺、夕見者朝被殺。今妾等顏色不秀、加以、情性拙之。若威儀言語、如毫毛不似王意、豈爲親乎。是以、不能奉命。」遂遁以不聽矣。

現代語訳

(允恭天皇即位42年)12月14日。穴穂皇子は天皇位を継ぎました。皇后を尊び、皇太后としました。都を石上(イソノカミ=現在の奈良県天理市?)に移しました。これを穴穂宮といいます。このとき、大泊瀬皇子は瑞歯別天皇(ミツハワケノスメラミコト=反正天皇)の娘たちを与えて欲しいと申し出ました。
娘の名前は諸々の記述には見られない。

皇女たちは皆、答えて言いました。
「君王(キミ)はつねに荒くて怖い。たちまち怒ってしまったときには、朝には見られた人も夕方には殺されてしまいます。夕方に見えた人も朝には殺されてしまいます。今、わたしめらは顔色(カオ=ここでは美人かブスかという意味)が優れません。また情もありません。もし、振る舞いや言葉に毛の先ほどの王の心に適わない場合は、心を得られないでしょう。だから命令(大泊瀬皇子の妻になること)を受けることはできないのです」
そうして遂に結婚の命令を受けませんでした。
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解説

大泊瀬皇子
後の雄略天皇です。雄略天皇というと、政敵を殺し、混乱を招いた「悪」という捉え方をされています。それが実際のところはどうだったのかは分かりません。歴史書というのは後の人が書くもので、そのときの政治的な都合が反映されてしまうのは仕方のないことです。

大泊瀬皇子が妻を娶るのを拒否された経緯が描かれていますが、これも「大泊瀬皇子」の「後の政治的都合」に則って「人徳のなさ」を描いただけで、史実かどうかは怪しいわけです。
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