近江の来田綿での市辺押磐皇子の暗殺

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雄略天皇(五)近江の来田綿での市辺押磐皇子の暗殺

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原文

冬十月癸未朔、天皇、恨穴穗天皇曾欲以市邊押磐皇子傅国而遙付囑後事、乃使人於市邊押磐皇子、陽期狡獵、勸遊郊野曰「近江狹々城山君韓帒言『今、於近江來田綿蛟屋野、猪鹿多有。其戴角類枯樹末、其聚脚如弱木株、呼吸氣息似於朝霧。』願與皇子、孟冬作陰之月・寒風肅殺之晨、將逍遙於郊野、聊娯情以騁射。」市邊押磐皇子、乃隨馳獵。於是、大泊瀬天皇、彎弓驟馬而陽呼曰「猪有。」卽射殺市邊押磐皇子。皇子帳內佐伯部賣輪(更名仲手子)、抱屍駭惋、不解所由、反側呼號、往還頭脚。天皇尚誅之。

現代語訳

(安康天皇即位3年)冬10月1日。雄略天皇は穴穂天皇(=安康天皇)、かつて市辺押磐皇子(イチノベノオシハノミコ)に国を引くついで、後々のことを皇子に自由にさせてやろうと思っていたことを恨んで、使者を市辺押磐皇子(イチノベノオシハノミコ)の元に派遣して、嘘をついて狡獵(カリ)をしようと約束して、野で遊郊(アソビ)を勧めて言いました。
「近江の狹々城山君韓帒(ササキノヤマノキミカラフクロ)が言った。
『今、近江の来田綿(クタワタ=現在の滋賀県蒲生郡蒲生町・日野町)の蛟屋野(カヤノ=地名)に猪・鹿がたくさん居ました。その頭に載っけている角は枯れ木の枝のよう。集まった足は弱木株(シモトバラ=シモトは潅木=潅木は3m以下の木)のようです。呼吸する息は朝霧ように立ち込めている』
願わくば、皇子と猛冬(カムナヅキ=10月=冬のはじめ)の影のできる涼しい月に寒風かかすかに吹く時期に、野に遊び、いささか楽しみ、走り射よう」
市辺押磐皇子はその誘いに従って馳猟(カリ)をしました。大泊瀬天皇は弓を引き、馬を走らせて、騙して皇子を呼び
「猪がいる」
と言い、市辺押磐皇子を射殺しました。市辺押磐皇子の張内(トネリ=従者)の佐伯部売輪(サエキベノウルワ)
またの名は仲手子(ナカチコ)といいます。

は皇子の遺体を抱いて、息を荒くして慌てて、どうすればいいか分かりませんでした。皇子の周囲に転びまわり、皇子の名を呼び叫んで、頭と足を何度も行ったり来たりしました。天皇は全員を誅殺しました。
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解説

佐伯部売輪の行動
佐伯部売輪は皇子に仕えていた舎人、ですが「張内」と書いているわけですから、ちょっと役割が違うんでしょうね。舎人は屋敷に仕えていて、張内はもうちょっと身近な存在だとか。

その佐伯部売輪が皇子の周囲を転び回って、名を呼んで、頭と足を何度も行き交うというのはおそらくは「葬式の儀礼」です。似たような記述が古事記にもあります。
イザナギ、妻を失い、涙を流す
そしてイザナミの枕元や足元に這いまわり泣きました。
その涙から産まれたのはナキサワメ神です。

おそらくそれが死者を送る儀式だったのでしょう。
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