泊瀬の朝倉で天皇位に

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雄略天皇(七)泊瀬の朝倉で天皇位に

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原文

十一月壬子朔甲子、天皇、命有司設壇於泊瀬朝倉、卽天皇位、遂定宮焉。以平群臣眞鳥爲大臣、以大伴連室屋・物部連目爲大連。

現代語訳

(安康天皇即位3年)11月13日。天皇は有司(ツカサ=役人)に命じて、壇(タカミクラ)を泊瀬(ハツセ)の朝倉(アサクラ)に設けて天皇位につきました。宮を定めました。平群臣真鳥(ヘグリノオミマトリ)を大臣としました。大伴連室屋(オオトモノムラジムロヤ)・物部連目(モノノベノムラジメ)を大連(オオムラジ)としました。

解説

10月に市辺押磐皇子(イチノヘノオシワノミコ)と御馬皇子(ミマノミコ)の兄弟を殺し、11月に宮を建てて天皇位についた、ということはやはり、この兄弟が本来は天皇の有力候補だったのではないか?と。

兄弟の父は履中天皇で、母親は葛城氏の黒媛です。それに対して雄略天皇は父が允恭天皇で母は応神天皇の孫にあたる忍坂大中姫…つまり天皇と皇女の夫婦の子です。雄略天皇と葛城の戦いは、皇女の子が天皇になるという伝統と、臣下の娘の子が天皇になるという葛城の戦いです。
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